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12月22日 日本語のみだれ(No.355) 先日、時計の修理でお見えになった方が、こんなことをおっしゃってました。「ひょっとしたら、この時計、ヤバイんじゃないですか?」 この中に出てくる ヤバイという言葉は、本来は危険、不具という意味で、その筋の方々の隠語であって、普通の方は絶対口にしない言葉であったはずです。何か不具合を しでかして、警察に追われた時などに、ヤバイ、ズラカレなどと言って、その場を逃れたものです。それが最近は、タレント、知識人の発言の中に、安易に 使われています。このヤバイという言葉は、聞いたり文字で見たりしても、決して楽しくは感じられません。なんでこんな言葉が日常の日本語の仲間入りをして しまったのか解りませんが、お解りの方はどうぞお知らせ下さい。 この時計ヤバイですか、の意味は、色々に解釈されます。イミテーションである場合、又、部品欠落で修理不能の場合、摩耗劣化がはげしく修理不能の場合等、 又は、修理して再使用するに値しない場合等々であろうかと思いますが、なにもここでヤバイという表現は、会話の中で決して口にしないで欲しいと思います。 今年も大勢のお客様にお出で頂き有難うございました。来年の5日までひとり言をお休みさせて頂きます。 12月15日 困った質問(No.354) 時計の修理品をお持ちになる方は、十人十色と言っても決して過言ではないと思います。今までも何回かお話ししてますが、皆さんがお持ちになっている 時計は、人それぞれに思い入れがある物ばかりです。修理品に対して、「この時計、いい時計だったら直そうと思いますが」との質問には、本当に困ります。 いい時計とその反対語は悪い時計なのでしょうか。価格が高い時計が良い時計で、安価なものは悪い時計なのでしょうか。時間が良く合う、合わない、 ゴールドやプラチナのケースだから良い、ダイヤモンドがデザインされているから良い…人様々です。私はこの様な質問には、次のように返答をしています。 時代は何時頃のものであるか、メーカーは業界でどんな評価を受けているか、ケース(側)の材質は、何であるか、組込まれている宝石は、本物か イミテーションか、ムーブメントは何処の会社で組み立てられたものか、軸受に宝石は何個使用しているか(何石入り)、レギュレーターの構造はどうなって いるか、耐水性はどうか、文字板にはどれだけ費用をかけているか、使用するにあたって注意することは…などなどです。良い時計、悪い時計の表現は 使っておりません。あくまで持主(ジョークでじぬしと言っている)が決めることです。 ヒットカウンタ 230,000番 の方に記念品を差し上げます。画面をコピーして、住所・氏名を記入してお送り下さい。 12月8日 ブランド品と世界腕時計博(No.353) 最近の新聞広告で1頁、又は見開きで大きく宣伝されているブランド品の時計を多く見受けられる様になりましたね。雑誌広告も、折込広告もびっくりする 程の大型写真の時計が盛沢山です。又中央の銀座にも、有名時計店が続々と開店しましたね。銀座7丁目には、B1から14Fまですべてスウオッチチグループが 占めているスイス時計文化の中心的とも言えるニコラス・G・ハイエックセンターが5月にオープンしています。このビルは、時計に興味のある方は、是非一度 訪れてみたいところです。松坂屋の並びでやや新橋寄りで、すぐ解ります。ブランパン、グラスヒッテ、オメガ、ジャケドロー、スウオッチブティック、 レオン・アトなどですが、ゆっくり時間をとって見学することをお勧めします。 2008年2月6日から12日まで、銀座松坂屋に於いて、世界腕時計博が開催されます。今年で17回目になりますが、日本やアメリカから、約40の 有名店が参加してのお祭りです。40の店舗は、夫々特徴のある品揃えで、それこそ世界中の時計が一目で理解出来るフェアーです。各店の主人も、夫々の うんちくの持主ですので、話をしても面白いです。私もウオッチクリニックコーナーを開設してますので、どうぞお出掛け下さい。お待ち申し上げます。 12月1日 12月9日号サンデー毎日から(No.352) 11月27日に発売になりました週刊誌サンデー毎日の151頁に私の工房の紹介記事が載ってます。石田ゆり子表紙の12月9日号です。まだ店頭にある かも知れませんので、立ち読みでもなさってみて下さい。真白い頭がまる見えでちょっとはずかしいですが、1頁ものです。年齢もバレバレです。ホームページ と同じアングルですが、少し年齢がかさみました。アンティークホビーの世界というシリーズですので、他に江戸指物家具とクラッシックカメラ、ビンデージ カーの修理の方が紹介されています。手作りの家具も、フィルムカメラも、ビンテージカーも、時計にたとえれば、機械時計の手巻式になるでしょうね。 それぞれの職人さんが口にしている言葉は、時計の世界でも全く同じです。クラッシックカメラの早田清さんがおっしゃっていらした、修理すればいつまでも 使えるのがクラッシックカメラの魅力ということですが、時計では機械時計そのものです。きちんと手入れをして補修すれば、人間の寿命より長生きします。 それに比べてクオーツ時計は、ちょっと情けないと思います。心臓部ともいえるIC回路やコイルが破棄すると、部品交換以外は、メーカーでも対処できないと いうことが致命的です。そんなことから最近では、機械時計の生産に力を入れているメーカーが多くなりましたが、ちょっとお値段がお高いようですね!! 11月24日 ラリー参加の森繁さんのこと(No.351) 森繁さんが参加していた時、ラリーのスタートで気がついたことがあります。森繁さんが車に乗られる時の仕業が大変にきれいだったのです。私はすかさず シャッターを切りました。俳優さん達は、常日頃、訓練しているのでしょうか。車の乗り降りにもセオリーというのではなく、一つのきまりがあるのですね。 それは、1腰、2足、3頭と言って、車に体を入れる順番なのです。後部座席に座るにしても、運転席に着くにせよ、この順で乗り込むことが見て様になるの です。森繁さんは見事にこの順で車に乗り込んでいました。 この時のラリーの競技長は、片山さんとおっしゃる方で、後アメリカニッサンの社長をなさってから、現在99才、まだ車のハンドルを握ってます。 ニッサンフェアレディーのドンと言われている方で、片山さんなしではフェアレディーを語れないという方です。大変元気ですので、来年は広島TVで 放映されている百歳バンザイに推薦しようと思ってます。先日新車を購入しようかと考えているとおっしゃってました。びっくりです。 森繁さんのスナップは肖像権がありますので、了解が得られましたら載せたいと思います。 11月17日 自動車ラリーのお話(No.350) つい先頃WRC(世界ラリー選手権)が北海道で開催されて、日本勢では、スバルインプレッサと三菱ランサーエボリューションが活躍しました。 これは国際レースですが、我が国でも昭和30年頃から自動車愛好者が集って、ラリー競技をやっていました。その頃日本国内では、道路交通法もあり、 一般道路は40キロ制限で国道でやっと60キロぐらいでした。ですからWRCみたいに早いもの勝ちということはなく、定速遵法走行が定番でした。 つまり指定速度がきめられてまして、チェックポイント毎に道路状況を考えて、28キロ、35キロ、40キロというようにアベレージを指定されます。 もし40キロの指定を受けた時は、1秒間に11.1mずつ走らなければいけないことになります。スタートから30分位には、20kmの地点を通過して いなければいけないわけです。オフィシャルが秘かに参加車両のタイムを測定して細かに計算します。参加者の場合は、自分の車のオドメーターを見たり、 スピードメーターの針をみながらナビゲーターと相談しながら走るわけですが時速40kmの指定でONTIMEで走行していたとしても、信号や踏切で2分 止ったら、次の2分は時速80キロで走行しなければ遅れた時間は取り戻せません。昭和29年に我が国で最初に東京―江ノ島間を走行するラリーが行われ ました。神宮外苑をスタートして、第2京浜国道から江ノ島までのラリーです。参加者の中に、森繁久弥さんがいらっしゃったのが印象に残ってます。 11月10日 儀象堂(No.349) 墨田区の時計資料館は、第二精工舎亀戸工場関係の資料が殆どですが、諏訪工場、塩尻工場(現エプソン)関連の、諏訪湖・時の科学館“儀象堂”が長野県 下諏訪町にあります。ここは時計の資料館とはちょっと趣が違いまして、時計工房があります。この工房はオリジナルマイウオッチ、マイクロック作りが体験 できます。ひとりひとり親切に指導してくれますので、初めての人でも上手に作ることができます。時計に興味のある人は、是非一度訪ねて見ることを おすすめします。喫茶コーナー、ショッピングコーナー、常設展示室、200インチのハイビジョンで諏訪大社下社御柱祭を楽しむことも出来ます。 マイウオッチ、マイクロック作りは、コースがいろいろ有りますので、ネットで調べるか、直接電話で問い合わせて下さい。45分2,200円〜15,000円まで、 3時間・5時間・6時間と25,000円コースまであります。世界に一つしかないマイウオッチを作る楽しみは、格別です。又、マイクロックは、子供の写真、 孫の写真や、ペットの写真を組み入れた額が文字板になって面白いものがすぐに出来上がります。腕時計は、自分でデザインしたものを用意すれば、それが 文字板になりますので、たった1つの宝物になります。ムーブメントは、クオーツと自動巻とに分れています。資料を取り寄せて、研究して下さい。 儀象堂は、中国、北宗時代(1092年)当時の首都開封に建設された水駆動による大型の天文時計装置を、当時の解説書「新儀象法要」を4年がかりで 解析し、日本の匠の技術を集め、動き、音、色彩を添えて完成させたものです。 儀象堂インターネットアドレス: http://www.gishodo.jp/ 11月3日 セイコー資料館のこと(No.348) 今年の7月11日にテレビ朝日12chで放映されましたちい散歩の中で、地井さんが訪れた先でセイコー時計資料館があります。これは、セイコーの時計の 歴史と時計の進化の歴史を詰め込んだところです。東京都墨田区東向島3−9−7、TEL03−3610−6248で、予約をすれば誰でも見学することが 出来ます。浅草から東武伊勢崎線で、東向島下車ですぐのところです。この資料館は、第二精工舎亀戸工場関連の製品が主になってます。第二精工舎は、 昭和12年日中戦争が勃発して置時計の生産が禁止され、ウオッチの輸入も禁止されて、生産能力の増強が必要となったために、9月に亀戸に工場を建設し、 昭和14年から本格的なウオッチ生産工場となったものです。資料館には、この辺りの事が良く解る当時の生産品が展示されています。セイコー舎が一番最初に 作った懐中時計、タイムキーパーや、昭和6年初期の鉄道時計の19セイコー、昭和16年製のクロノグラフ懐中時計、大正2年製国産初の腕時計ローレル、 大正15年(昭和元年)製の10型腕時計、戦後早々に開発された国産初の中三針腕時計、昭和35年製初期型グランドセイコー等々です。又、特別展示品 として、関東大震災の後、精工舎工場の焼け跡から掘り出された火勢が強く溶け流れている各種の携帯時計などあります。一度折を見て、見学なさってみて 下さい。改めて時計に対して興味が増してくることでしょう。 10月28日 防水時計(その2)(No.347) 一般に防水時計と言いますと、これは防水だからとわざわざ水に入れたり、風呂に入ったりする人がいますが、大間違いです。防水時計には、2種と1種が あります。2種は日常生活強化防水で、1種は単に日常生活防水といってます。強化防水には20気圧、10気圧、5気圧と、対圧が3種類に分れています。 生活防水は、3気圧の対圧になってます。ケースや文字板には、WATER RESISTANT 20、10、5と記されていますが、3気圧防水時計は、WATER RESISTANTとだけ 記されています。 防水時計では、代表的な時計にロレックスがあげられます。ロレックスは、竜頭部をスクリューロックすることで有名ですが、他社の製品でも、 このスクリューロック式と同じタイプのものが沢山あります。このスクリューロックの閉め具合が結構難しいのです。ゆるくても駄目、強すぎても駄目です。 何時もゆるめるのにバカ力を出さなければゆるまない事がありますが、これは決して良いことではありません。竜頭内部のパッキングがほどほどに効いて、 シールドがなされていれば良いのです。あまり力強く閉める習慣をつけますと、ケースに取付けられているネジの部分が根元から折れてしまうことがあります。 或いはこのネジがバカになって、うまく閉まらなくなってしまいます。何事も適度な仕業が必要です。スクリューロックの時計をお使いの方は、改めて竜頭の 閉め具合を確認してみませんか? 10月20日 防水時計(No.346) この時計は防水になってますということは、水につけたり海に潜っても良いですよということではありません。防水にも耐圧の規定があります。一度お話した ことがあると思いますが、そろそろ忘れかけた頃と思いますので、再度申し上げましょう。JIS規格では、潜水1種・2種、防水1種・2種とに分れています。 潜水2種は、飽和潜水用防水といいまして、1,000m防水、600m防、300m防水、200m防水に分別されています。このタイプの時計には、波のマークと共に He GAS.DIVER 〜mと刻印があります。これは、洗顔、雨でぬれる、水仕事、水泳、水上スキー、ヨット、スキンダイビング、スキューバダイビング、飽和潜水 (ヘリュームガスを使用する潜水方式に使用可)等々がすべてOKです。この潜水2種の規定であれば、日常考えられる水に対する予防は、すべてクリアできる ことになります。次に潜水1種があります。これは、名称は空気潜水用防水といってます。200m防水と、100m防水の二種です。ケースのマークは、2種と同じく、 波のマークとAIR.DIBER 〜mと刻印されています。これは、第2種の飽和潜水だけが対象外で、他は同じです。次回は、防水1種、2種についてお話しましょう。 10月14日 愛用の時計を形見に(No.345) 先日、一通の手紙と共に修理品が送られてきました。現在は大勢の方からお預りしてますので、修理上がりまで約半年かかってます。しかしそのお手紙の 内容によりますと、御本人さんが末期癌で毎日病院通いをしていらして、もう病院が信じられなくなってきたとのことです。そしてお送りいただいた時計は、 きれいに直して子供さん(といっても40才)に形見として残しておきたいとの事でした。今までも、修理品を枕元にお届けして、動く音を耳元で聞いて頂き、 その二日後にお亡くなりになられたなんということもありましたので、これは早速に超特急でお直しして差し上げることにしました。今日がその仕事をする 日です。御病気がなんとか回復なさる事を心に込めて祈る気持ちで仕事をするつもりです。修理時計の裏蓋の中に、回復祈願の文字を入れることにしました。 一日も早くお元気になる事をお祈りします。 10月6日 もったいない(No.344) 最近“もったいない”という言葉を取り上げているメディアが結構多くなりました。地球環境にやさしくということから始まったことかと思いますが、 今回はこのもったいないと時計との関係を考えてみることにしました。先週のひとり言の中でもお話しましたが、高価な時計を垢だらけにしてしまうことや、 疵だらけにしてしまうことではないかと思います。私のところに修理に持ち込まれる数多くの時計の中には、このもったいない使い方をしているものがなんと 多い事かと感じています。皆さんの腕に着けている時計を一寸見て下さい。風防ガラスに疵はついていませんか。ケース周りはきれいですか。疵があったら 何時、何処で、何をした時ついた疵かを思い出してみて下さい。購入したばかりの時は、結構気にしていた事かと思いますが、時がたつと古女房と同じに、 邪見にしていませんか。無残に取扱われた疵だらけの時計をみると、もったいないなと思います。又、防水時計だからといって、腕に着けたまま風呂に 入ったり、水遊びをしたりしていませんか。これも、もったいない使い方に入ります。使用する人の性格にもよるかと思いますが、きれいに大切に使っている 様子がわかる時計をお預りすると、ほっとします。 9月29日 夏が過ぎて(No.343) 長い夏が終わりに近づいてきました。やっと涼しさを感じるようになりましたね。毎年今頃になると、夏の間使い続けていた腕に着けている時計に不具合が 生じてくる事が多くなってきます。汗によるトラブルです。完全防水できちんとメンテをしているものですとそんなことはありませんが、生活防水程度ものも、 又は、1960年以前の特に外国製品と、経年劣化が考えられるものに関しては、十分な注意が必要です。汗をかいた腕から外した時、乾いた布等で良く拭き とってますか。そのままポイと机の上に置いたり、ポケットに入れたりしていませんか。多くの皆さんに伺ってみますと、意外に邪見に取扱っているようです。 高価な品であること、そんなことはすっかり忘れてしまっているようですね。デザイナーものに特に感じられますが、デザインを優先するあまりに、他の 機能が手薄になっていることがあります。特に裏蓋を何本かの捻子で押さえてあるタイプのものは、汗と垢によって捻子が腐食して、抜けなくなってしまう ものが多いです。毎年ひと夏で10ヶ位の取り扱いになってます。皆様も、もう一度御自分の日常使っていらっしゃる時計を見直してみて下さい。 9月22日 健康管理(No.342) 先日40年使用しているというスイス製O社の時計をお持ちになった方がいらっしゃいました。お話によれば、1960年頃に求められてからずっと続けて 指定のサービスステーションで3〜4年毎にきちんとメンテをなさっていたとの事です。中を開けてみてびっくりしました。それは、40年も使っていると いうのに、ムーブメントはまるで新品のようでした。キズ一つなく、ねじの笑い(ドライバーが入る溝がこわれること)は全くなく、素晴らしい職人の技が 目の前に展開していたわけです。お持ちになられた方のお父上が大変に几帳面な方で、時計を大切に扱っていらしたそうです。40年も過ぎますと、さすが サービスステーションでも、修理受付のボーダーライン外になったとの事で、断られたそうです。10回以上はオーバーホールをしていた事になるわけですが、 私には初めての手入れみたいに感じたわけです。人間でいうと、若い時から食生活に注意して、適度な運動、早寝、早起き、朝ご飯のルールを守り続け、 健康管理をきちんとしている青年老人みたいなものでした。お預りしたこのO社の手入れをすることに、何かわくわくした気持ちを感じております。 9月15日 時計の寿命(No.341) 家電製品の耐用年数が社会問題になって、マスコミがさかんに取り上げています。しかし時計に関しては、誰も騒いでいませんね。もちろん、時計の寿命が 原因で人が死んだり火事になったりしてませんから、そんなに大きく取り上げられることはないでしょう。機械ものに限らず、すべてものにランク付があります。 同じものでも普及品から高級品までありますね。乗り物でも、エコノミーからファストクラスまであります。当然のことながら、時計にもあります。ブランドの 違いで差がつくのは、当り前のことですが、同じブランドで、同じネーミングでも差があるのです。機械時計では、歯車の軸受に宝石(人工)を何個使って いるかで差がついています。1石、2石、3石、7石、10石、15石、17石、19石、21石、23石、25石、30石といろいろありますが、最小でも 15石はあって欲しいと思います。15石以下のものと、以上のものでは、保油機能に差が出ますので、寿命に影響がでてきます。軸受に宝石を使っていますと、 軸の摩耗を防ぐことができますので、メタルの軸受より、はるかに長持ちをします。7石入りのものは、手入れをせずに使い続けますと、軸受の穴がトルクの かかる方向に8の字型にすり減ってきます。私のところに持ち込まれる修理品の中には、この状態になった急患が沢山あります。殆ど臨終です。 これを長生きさせるためには、自動車でいうところのボーリング作業をするのです。8の字に摩耗した直径0.03〜0.05ミリの穴を更に大きくして、そこに宝石を 取付けるか、メタルのブッシュを取付けて、軸と穴を合わせます。こうすることにより、時計の寿命が長くなります。ここまで手が入った職人の息吹が聞こえる ものも、たまには持ち込まれます。こんな時計を見ると、ホッとするひとときです。 9月8日 経年劣化喚起義務化(No.340) たまたま今日の読売新聞に掲載されていましたが、機械類の経年劣化喚起をメーカーに義務化していこうという話です。これはあくまで製品の経年劣化に よる事故発生の危険性についてですが、大変に良いことだと思います。しかし注意喚起義務の対象になるのは、最近事故が起きた扇風機、洗濯機、テレビなどで、 広く普及している経年劣化による事件が多い家電製品に限られているようです。こんなことが、一般に行き渡ってくれると、何も事件にならなくても、 機械類の経年劣化について認識が高まってくることと思います。 キーキー音を出しながら走っている自転車などを見ると、油切れの自動巻の時計を無理に振り回して使っている人を思い出してしまいます。この項では 何回も同じことを申し上げていますが、家電製品では8年、時計業界では6年と、一つの製品の型番が製造中止になり新型になった時は、前の型番の補修部品の 保存、確保期限をきめています。ちなみに、精工舎が時計を作り始めてから現在まで製造した各種時計の補修部品を、すべて保存していたとしますと、その 倉庫の大きさは、丸ビル位になってしまいます。現在でも相当大きな建物になってますので、外国に倉庫を持っているメーカーは数多いと聞いてます。機械もの は、駆動しているからといって、メンテナンスなしで使い続けることは、扇風機に限らず時計もすべて危険で同じです。 9月1日 経年劣化(その二)(No.339) 最近の人間模様とでも言うのでしょうか、扇風機事故の問題だけではないと思いますが、何かトラブルが起きると、すべて相手のせいにするとでもいうので しょうか、自分は何も間違っていない、お前が悪いんだといった言い方が増えてます。30年以上使用した扇風機から出火したからといって、メーカーの責任を 問われたのでは、どうしようもありません。きちんとメンテナンスをしていれば、決してこの様なことにはならないのです。時計でしかりです。メンテナンス なしで何年も使い続けて、止ったから、水が入ったから、文字板が変色したから、と言ってメーカーやメンテナンス担当に苦情を言われても、どうしようも ありません。これは毎日自分の家の掃除をして、洋服にブラシをかけ、下着を洗濯する、毎朝靴を磨いて出かける、顔を洗う、歯を磨く、ことと全く同じでは ないでしょうか? それが何で機械ものになると、ほったらかしになるのでしょう。機械も血の通った人間と同じです。魂もあれば、精神もあると思って 下さい。私達は毎日時計と会話をしながら向き合っています。きれいに仕上げると、時計は笑顔で有難うと言ってくれます。そして、その気持ちが、持主に 伝わっていくのです。 8月25日 経年劣化(その一)(No.338) 扇風機の経年劣化で火災が起きた事件が報道されています。電化製品に限らず、機械製品は自動車を筆頭に、すべて経年劣化が考えられます。しかし、 自動車は車検があり、人間の経年劣化は定期健康診断がありますが、その他の製品にはこれと言って厳しい制限はないようです。特に人の命に関わらないという ところから来ているのでしょうか? 時計もそうです。扇風機は30年以上経ったものは使用しないようにして下さいと言ってますが、30年間一度も手入れ しないで使いっぱなしであることがそもそもの間違いではないでしょうか。家族の中に一人でもメカに精通した人がいれば、決してこんな事にはならなかったと 思います。 時計はいくら古くなっても動かなくなったり止ったりで、命に関わることがないので誰も騒ぎませんが、時計の経年劣化は、扇風機どころではありません。 10年でわずかずつ劣化が始まります。動いているからといって、メンテナンスに関わる料金をケチって使い続け、どうしようもなくなってから時計店に 持ち込む人が殆どです。取扱説明書には、必ず3年〜5年に一度はオーバーホールをするように記述してありますが、それを守っている人は少ないようです。 扇風機は30年で問題になってますが、時計の30年は当たり前のことで、私のところでお預りしている修理品は120年前からのものもあり、30年〜40年が 平均です。 8月19日 クレーマーのお話(No.337) 自動車のお話からは、この辺りでサヨナラしましょう。 又時計の話に戻ります。私のところみたいに小規模で修理作業をしているところでも、月間100件〜120件位の問合せがあります。それでは、メーカー系 のサービスステーションでは、どの位あるのでしょう。聞くところによれば、月間5,000件〜6,000件とのことです。そのうち殆どがクレームに近い相談だと いうのです。私のところに問合せしてくる方の中にもクレームが結構あります。しかし良く調べてみると、そのクレームの中で半分は、使用方法の誤り が多い様です。手巻式の時計のぜんまい巻不足、自動巻の運動不足、これは、一日中家で何もせずただゴロゴロしている。机上作業で手の運動が不足して巻 不良になる。すぐ腕からはずしてしまう。病人の腕に着けている。自動巻だからと言って、ただ机の上に置いておく。 以上、こんなことが良くありましたが、殆どの方がこちらの修理の仕方が悪いと言って、大声で怒鳴ってきます。お客様が偉すぎるのでしょうね。家の玄関 口まで来て、近所辺りに聞こえんばかりの大声で怒鳴って行く人もいます。このわけを説明しても、謙虚なところもなく、反省もなくただ大声を出すだけです。 前にも一度お話したことがあると思いますが ”社長を出せ” を想い出す様な光景でした。各メーカーのサービスステーションでは、連日この様なお客様の 対応をしているかと思うと、窓口の方々は、大変な苦労をしているかと思います。 8月11日 計時裏ばなし つづき(No.336) 2台、3台とほとんど一列になって、コントロールラインを通過してゆくことがあります。一斉にスタートして、一周目か二周目位には良くあることです。 これを目視で確認し、マニュアルで信号を別入力するのが計時委員の役目です。2台が全く鼻先が一緒で同タイムと認識した時は、車番(ゼッケン)のみ 記入して、打ち上がったタイムのところに2台分のゼッケンを再記入するのです。通過車両分だけタイムを打ち上げてくるプリンターですが、この打ち上げた タイムの数と通過車両の数が合わないことがありますが、これは大事件に発展してしまいます。そんな時は、その周回だけの記録を別室に持ち込んで、数人の 計時委員が事件になった周回の前、前々周などの記録と照合して間違いを見付け出すわけですが、体中冷や汗びっしょりになる作業です。当時にしても、 リーダーボードにマニュアルですが、通過順位を表示しなければいけません。現在ではすべてコンピューターコントロールですべて自動で表示されていますが、 当時は人間の手と頭でやっていましたが、ちょっと遅れが出ると、グランドスタンドがガヤガヤ騒ぎ出すのが良く解り、審査委員から“どうした”などと 言われて困ったこともありました。こんな事が国際問題にまで発展したことも有りましたが、今となっては懐かしい想い出です。 8月4日 計時裏ばなし つづき(No.335) 1960年代には、現在みたいに無線の発信装置を各参加車に搭載して各国個々に通過タイムを入力するなどという、しゃれた機能はありませんでした。 計時委員がすべて目視で作業をしていたわけです。50台に近いレース車が一斉にスタートして、1周目と2周目くらいは、団子になって計測ラインを通過して いきますので、プリンターに打ち上げられたタイムと、通過車両の数が一致しないと大変なことになります。それも目の前を時速200q位で通過するわけです から、そのゼッケンNoを読みとって、通過順に記入しなければいけません。プリンターに打ち上げられた夫々の通過タイムと通過車両の順を合わせて、 プリンターのロールペーパーに打ち上げられたタイムのところにゼッケンを手書きで記入するのですが、これは大変な作業です。最初の一周目や、二周目は、 同タイム着違いが沢山でてきます。これも計時委員の権限できちんと記入するのです。はじめてですと、まごまごしますが、慣れてくると案外落ちついてきちんと できるものです。通過車両は、車番表に記入するわけですが、一周遅れ、二周遅れなどがでてくると、ちょっとまごつきますが、記入表の形式が上手に できていて、ひと目で解る様になっています。現在は、コンピューターコントロールで、計時委員はタワーの上から眺めているだけで、すべて機械がやって くれます。ただし機械のことですから、100%信頼して良いはずですが、必ずしもそうでないことがあります。2台以上並列でコントロールラインを 突切った時などです。(次週に続く) ヒットカウンター 220,000番 の方に、ささやかですが記念品を差し上げます。画面をプリントアウトして、住所・氏名を記入してお送り下さい。 7月28日 計時裏ばなし(No.334) 静岡県御殿場に富士スピードウェイが完成した1960年に、第3回日本グランプリレースが開催されました。富士スピードウェイ開催のコケラ落としになる、 富士第1回日本グランプリレースといってます。この競技会から日本中の自動車愛好者によるモータースポーツクラブの有志が協力することになりました。 私の所属する日本ダットサンクラブからも大勢参加しました。もちろん私は計時グループの長でしたから、私のクラブから有志を募り、計時グループは殆ど、 日本ダットサンクラブ員で構成されました。須走町の小さな宿に何日も寝泊まりして、全員でモータースポーツ談議に華が咲いたことは、懐かしい想い出です。 その時のレースでは、プリンス自動車のR−380を操った砂子義一選手が、見事に優勝してます。その頃の計時作業というのは、計測ラインを通過すると 光電管のビームがカットされ、その信号を受けたプリンティングタイマーが通過タイムを打ち出してきます。しかし、当時の計測器は現代のものとは大差があり、 一度打刻すると次の信号が入力されるまでのホールドタイムが長すぎて、続けざまに通過して行くとタイムを打ち上げてくれません。それを目視で確認して、 マニュアルで信号を入力しなければいけなかったのです。他に車番係が大勢いて、これも目視で通過車輌のゼッケンを手書きで表に記入していたものです。 (次のお話しは又来週に) 7月21日 モータースポーツ創世記 その2(No.333) モータースポーツは、主催する側と参加する側にそれぞれライセンスが必要になります。それも、国際と国内に分かれています。国際ライセンスを取得して いれば国内に対しては有効ですが、国内ライセンスでは国際レースに対して主催者側にもなれず、参加もできません。ライセンスには、一般に知られて いるAライセンス、Bライセンスがありますが、これは参加する側に与えられる資格で、Aライセンスは、レース、Bライセンスはラリー、ジムカーナ、 ダートレースなどに参加できます。一方、主催側に対しては、競技を統括する競技長、参加車両のチューニングや改造等に関して、規格内に治まっているか等を 見守る役となっている技術委員、走行に関するルールの番人で、事故の救済等も兼ねたコース委員、そして、競技参加者の予選で決勝レースのスタート順を 決めたり、ラップタイムの計測と、一番大切な決勝順位を決定する権限をまかせられている計時委員がいます。その他それぞれ任務を持った役員が大勢いますが、 おおまかに言って、これらの役員で競技の運営は可能です。JAFが国際レースを開催することになった時、上記の役員で国際ライセンスを取得しなければ 競技を開催する事が出来ませんので、希望者を募って講習会を開催して、猛勉強をしたのです。そして私は計時委員の国際ライセンスを取得しました。 日本人で最初の一人となったのです。 7月14日 モータースポーツ創世記(No.332) 国際自動車連盟に加入し、日本自動車連盟ができたわけですが、それと一緒にモータースポーツの開催についての規則・法律みたいなものが飛び込んで きました。JAFも発足したものの、モータースポーツの事を何も知らない偉いさん達ばかりでしたので、私達オーナーの自動車クラブに相談がきました。 その頃は、J.A.A.(ジャパンオートモービルアソシエション)という金持ち自動車クラブと、T.D.K.(トヨペット同好会)と、N.D.C. (ニホンダットサンクラブ)、4CVクラブ(ルノーオーナークラブ)と、関西と名古屋にあった自動車クラブの代表者がJAFに集って、スポーツ委員会が 結成されたのです。40年以上も前の事ですので、はっきり覚えていませんが、フランス語のスポーツ法典を英文に訳したものを、一行ずつ、なんだかんだと 言いながら、日本文のスポーツ法典を作り上げたことだけは覚えています。 鈴鹿サーキットで開催された第一回のグランプリは、JAFは開催権がなくて、JASAという組織が実権をもって開催したのですが、富士スピードウェイ の第一回、二回からはJAFの主催になりました。そして、私達の出番になったわけです。我が国のモータースポーツ創世記であったのです。 7月7日 オーナーの集り、日本ダットサンクラブ(No.331) 通勤の帰り道だったと記憶してますが、新宿近くを走っていたら、後ろから追いかけてきた車から窓越しに一通の手紙が投げ込まれました。家に帰ってから 開いてみましたら、今や故人になられましたが、当時、東邦モータースに勤務しておられた木村さんという方からのものでした。内容は、ダットサン愛好者に よるオーナードライバーのクラブを作りたいので賛同者を集めているとの案内でした。私もそんな集まりは嫌いではないので、早速に返信をして、八重洲口に あったホテルに伺いました。駐車がうるさい時代ではありませんでしたので、8時過ぎの八重洲通りには、可愛らしいダットサンがずらりと並んでいました。 30台位集ってたと思いますが、木村さん1人で都内を走り回ってチラシを配ったとのことでした。その時に“日本オールドダットサンクラブ”が発足し、 その後“日本ダットサンクラブ東京”に変身していったのです。このクラブが東京オリンピックで大活躍をするのです。しかしその前に、オリンピック開催に よる外国人来日の為のカルネの問題がでてきたのです。日本が国際自動車連盟に加盟することが必須条件となり、それと同時に日本自動車連盟が政府と 各自動車メーカーの協力で発足しましたが、その陰に、白ナンバーオーナーの自動車クラブの力があったのです。 |
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