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12月30日 時計のお手入れ(No.255 特別版)
風防ガラスは、歯磨き粉をつけて布でこするときれいになります。又重曹をつけて拭いてもきれいになります。金属研磨剤も良いですが、残りが付着 しないよう注意しましょう。 風防ガラスの縁も楊子でぐるぐるやりますと面白い様に垢がとれます。正月は、心を新たにしてきれいな時計を腕につけましょう。 12月23日 うるう秒のお話(No.254) 2006年は今年より1秒だけ長くなるそうです。地球の回転に合わせて時間を設定してますが、長期的に減速しているそうです。潮の満・干、大気、 海流などの影響でそうなるとのことです。現在では、原子時計の振動数に合わせて時間を決めているのですが、前回修正して今年は7年目になるそうですが、 うるう秒として1秒が加えられるそうです。1月1日午前9時がその時刻になります。TV、ラジオの時報に注目してみませんか?(12月21日読売新聞参照) 2000年7月29日が第一回目のひとり言を書き込みしました。5年もの間良くつづいたものだと、自分ながら感心しています。新聞小説ですと、毎日ですが、 まだこれは一週間に1回ですから、考えるゆとりはありますが、良く同じことがくり返されているという指摘を頂くことがあります。注意はしているのですが、 時々失敗してます。ひとり言をご覧頂いているお客様からの質問にお答えする事が一番良いことと思ってますが、あまり質問がありません。皆様から 題材を頂きたいと思いますので、御協力をお願い致します。100%完璧な返答ができるかは解りませんが、できるだけお答えしていきたいと考えております。 今年もあとわずかになりましたが、大勢のお客様にお出で頂き有難うございました。来年の7日までひとり言をお休みさせて頂きます。 良いお年をお迎え下さいます様お祈り申し上げます。有難うございました。 12月17日 時計が薄くなる(No.253) 12月3日のひとり言の筆頭に昭和35年と書きましたが、これは昭和34年と書くべきところを間違いました。キャリバー1500は、昭和34年の 発売です。お詫びして訂正致します。 さてそこで、昭和35年には極薄12型の中三針ゴールドフェザーが発売になりました。これは、我が国では最も薄いムーブメント厚さ2.95m/mと いうことで、大宣伝のもとに売り出したものでした。この時代は、ムーブメントを薄くするということが時計メーカーの間で研究されていましたので、 他社を抜くアッという出来事であったようです。ムーブメントの輪列には、技術的に苦労したあとがみられて、修理する立場からは標準輪列でない為、 更に苦労をしたようです。 しかしこの薄型ゴールドフェザーは、当時オール金張りで25,000で店頭に並びましたが、飛ぶように売れたのです。その頃時計販売は、問屋方式で 流通していましたから、問屋のセールスマンは、小売店を巡るとき、このゴールドフェザーを持っていかないと、他の商品を買ってもらえないという 現象が続いたものです。 12月10日 時計をお探しの方に(No.252) 最近大勢の方から、“時計お探し”のメールを頂くことが多くなってきました。私のところでも少量の在庫はありますが、皆さんそれぞれの要求に応じる 事は出来ません。 一年に一回しか開催しておりませんが、2006年2月1日〜2月7日(10:00〜19:00)まで、東京銀座の松坂屋に於て、ワールドウオッチフェアーが 開催されます。全国から有名店40数社が出店し、我が国随一といわれているウオッチフェアーです。こちらにいらっしゃいますと、時計マニアのすべての 要望にこたえられる時計が必ずみつかると思います。一見の価値有りですので、是非、お出掛けになることをおすすめします。私のところも修理相談コーナーを 開設してますので、声を掛けて下さい。ホームページのコピーをお持ち下さった方には、ささやかな記念品を差し上げます。文字だけでなくお顔を合わせた コミュニケーションも大切だと思ってます。お目にかかることを楽しみにしております。 12月3日 レディス新型時計(No.251) 昭和35年5月(1960)には、キャリバー1500でペットネーム、レディセイコーの名称で4型長方形の婦人用小型のものが発売されました。 これは、スイス製で一まわり小さいキャリバーN.59という3型の婦人用時計これよりもやや大きめですが、細長い形は珍しくて、人気がありました。 スイス製よりも低価格ですから売れ行きも良く、SS、GF、AGF、金ムクケースと各種バラエティーに富んで、市場を繁わせておりました。 この年の11月になりますと、先にメリットの派生キャリバーで生産されたフェミローレルと同型で更なる派生キャリバー、スポーツレディが発売されました。 これはメリットと全く同じで低価格品でした。私たちには理解できませんが、時計業界の趨勢であったのでしょうね。 そして、全く同じ時期に、ビューティーのペットネーム(キャリバーなし)で、レディセイコーより一まわり、大きい、長方形のレディスが発売されています。 何人かの設計陣が社内で競っていた時代の産物といえるでしょう。 11月26日 派生キャリバー(No.250) 54キャリバー11型クロノスは、これを元型として様々な名称で変化していくのですが、これを詳しく解説している本があります。 大阪天王寺のトンボ出版(06−6768−2461)から出されている時計シリーズの中の国産腕時計③です。これをご覧になると、クロノスの事は、 すべて解ります。長尾さんとおっしゃる方がお書きになってますが、良くこれだけの資料を集められたのかと敬意を持ってしまいます。 是非ご覧になることをお薦めします。他にトンボ出版は、国産時計に関わる面白い本を沢山出版してますので、興味をお持ちの方は、問合せをなさってみて 下さい。 さて、この54クロノスが発売になって半年後の12月には、昭和32年に発売したメリット(レディス)の派生キャリバーで低価格のフエミローレルが 発表されました。これは、メリットと部品寸法は殆んど変らず、ムーブメントのブリッジが一枚になり、メッキ、模様を変更し生産コストを下げたものです。 当時はまだ一人一人が手で組立てていた時代ですから、一枚受けになったことで作業時間も短縮されて、コストダウンに繋がったわけです。この頃から、 派生キャリバーで生産コストを下げる傾向がみられはじめました。高度経済成長時代突入です。 11月20日 レディス中三針と(54)クロノス(No.249) 昭和33年(1958年)には、レディス、メリットがベースに開発された中三針の小さな可愛らしいパープルが発売になりました。既に海外では 似たようなものがありましたが、国産では初めてでした。今までレディスの時計は、小型のものは殆んど秒針がなく、二針式のものばかりで7型、8型の 丸型のみが、スモールセコンド付でありました。この頃の時代は、スモールセコンド離れで中三針全盛の時代に入っていったのです。そこでこのパープルが 発売になったわけですから、人気が出て良く売れました。ムーブメントは、やや厚めでしたがそれでも18.00×15.32×4.4(ミリ)の大きさにまとめられて いました。 同じ年の5月には、初めてキャリバーNOがつけられた54クロノスが発売になりました。今までは殆んどがペットネームでいわれていましたが、 クロノスから54というようになりました。しかし、クロノスの名の方が印象強くて、周囲の人達の中で54という人は殆んどいませんでした。 その頃は、まだそんな世の中(時計業界)でした。11型クロノスは、諏訪セイコーマーベルのライバル機種として、亀戸セイコーから4m/mの厚さを うたい文句として、華々しくデビューしたのです。 11月12日 時計でエンジンスタート(No.248) 自動車のエンジンスタートの釦を押しただけで、エンジンがまわり出す、いわゆる、スマートキーシステムは、最近の自動車にはシステム化していることが 多くなりました。 ところで、このスマートキーのシステムが腕時計に組込まれたものが、トヨタ自動車から発売になりました。キーインテグレーテッドウオッチが誕生した わけです。腕時計を操作するだけで、ドアーやトランクルームの開閉が出来、エンジンもかかります。トヨタ自動車、新型クラウンに使用できる、その名も クラウンウオッチです。チタンケース、ソーラーバッテリーで、月差±15秒、3年間保証です。これを腕に着けていますと、スマートキーを常に携帯している わけですから、車内に置き忘れることが無くなり、安心です。これは、これからの新しいキー携帯のあり方を提案しているということです。(トヨタ自動車 資料に依る) 11月5日 “ヒゲからみ現象”(No.247) ひとり言をご覧下さっている方で、16万人目の方から連絡がありました。有難いことと思ってます。こんな小さなホームページをご覧下さっていると いうだけで感謝感謝です。 先日修理したばかりのお客様から、1ヶ月位は調子良く時間も合っていたが、急に1日30分以上も進むようになってしまったと連絡がありました。 これは一般にヒゲカラミ(時計業界用語)といいまして、ヒゲぜんまいが何かのショックでからんでしまい、天府の周期が早くなり、進みになってしまう 現象です。一部ロレックスなどには、このからみを防止する装置が組込まれているものもありますが、ないのが普通です。 この現象になった時は、バンドの端を持って文字板を下にして、手の平にペタンペタンと叩きつけると元に戻ることがあります。二三回やっても駄目な 時は、時計店持込みですね。私のところではほとんどこのやり方で元に戻してます。お持ちになったお客様も目の前でペタンペタンとやるものですから びっくりしてますが、その後は笑顔に変わります。 ひとり言もまもなく250回目を迎えます。同じことのくり返しにもなって、何回もお話することもありますが、できれば、多くの方々からの質問でも あれば有難いと思います。毎週題材に苦労してますので、何とか助けて頂きたいと思います。 10月29日 レディス新型発売(No.246) 昭和32年(1957)3月になりますと、7年間作り続けていた6型5振動から、6振動に変更して精度を高めたチラねじなし(天府のバランスを 保つため、錘になるねじ)の丸天府付、セイコーメリットの名称で新開発された婦人用が発売になりました。この頃は、まだまだ時計が不足している時代 でしたから、工場も残業続きで生産に力を入れていました。この婦人用の時計は、女性用としては代表的なもので、外装も多種にわたり、思い出せない位の 数になってます。今でも私のところには、沢山修理に持ち込まれています。 同じ年の10月には、メリットよりひとまわり小ぶりの型で、ソーラーの名称で新型が発売になりました。これは、5.5振動のタイプで、小さくて、 ポチッという感じの人気が高い時計でした。メリットもソーラーも、レディスの時計としては定番ですので、これと同型のものは世界中で作られていて、 何故か共通部品も多く、修理にはあまり困っていないようです。 10月22日 昔のお話し(No.245) 時計の密輸が盛んだった頃の1950年頃の話です。横浜の南桟橋に近い辺りでは、いつでも内緒の話が飛びかっていました。特に、時計とカメラの密輸が 多かったと思います。カメラでは、ローライフレックス、ライカ、コンタックスが幅をきかせていました。時計では、エニカ、ラドー、他一般に並物(ナミモノ) といわれているスイス製の“本中三紳士用腕時計”でした。当時ロレックスはまだメジャーでありませんでしたので、密輸品の中にはありませんでした。 横浜の桟橋に近い喫茶店の2階にゴソゴソ人が集まり、シキリ屋の親分みたいな人が、時計やカメラを机の上に並べて、希望者に競い落とさせるという やり方です。それぞれの人達が口頭で金額を言うのです。参加するのに、いくらか、てら銭を払った記憶がありますが、脇で見ていても、やりとりが面白かったと 思います。店の前には、見張り役がいて、税関の職員と警察に注意を払っていたようです。でも、後から聞いた話ですが、みんな顔見知りで、ナーナーで やっていたとこのとでした。現在でしたら、大変なことになるでしょうね。 10月16日 セイコーからパワーリザーブ付発売(No.244) 前々回のひとり言で、6型セイコーが昭和24年に発売されたと申し上げましたが、その後の調査でこれは昭和25年8月発売でありましたので、 お詫びして訂正させて頂きます。うっかりしました。 昭和24年には、精工舎亀戸工場からは、一般に新10型の名称で、スモール秒針の10型紳士用が発売になってます。その後、5年位、 特に新製品は発売されませんでしたが、昭和30年になって、6月に紳士用中三針“ユニーク”、8月にパワーリザーブ付の11型自動巻が発売に なりました。このパワーリザーブ付とは、いわゆる巻き具合表示のことで、自動巻で使用していても、ぜんまいの巻き上げ具合、つまり残り時間等が すぐ解る様、指示針がついていることです。最近では、このタイプの型は沢山市場にでていて、ごく当り前みたいですが、1955年頃では、大変 珍しいモデルでした。スイス製のフォンテンメロンの技術を取り入れたものであったと記憶しています。 この当時の市場は、日本の時計産業が需要に追いつけない時代でしたから、セイコーもシチズンも、時計は作っても作っても、どんどん売れていく 時代でした。いわゆる“ライク ア ホットドック”でした。そんな時代でしたから、時計の密輸も盛んに行われていました。横浜の港で、油紙に包まれた 時計が海に投げ込まれる話をよく聞いたものです。 10月10日 19セイコーの19ってなに?(No.243) ひとり言を読んで頂いているお客様からの質問がありました。ホームページの中で、19セイコーの事が紹介されているけれど、19という数字は、 何を基準にした数字ですかということです。この件については、一度お話したかもしれませんが、ここで改めて詳しくお話しましょう。 時計のムーブメントには、基になる金属板があります。日本語では「地板」英語で「プレート」と言ってます。この地板を基にして、それぞれの部品が 付け加えられて、ムーブメントになるわけです。この大きさを数字で示しております。この数字も、アメリカとイギリスでは、吋(サイズ)単位で、 日本とヨーロッパのスイス、フランス、ドイツ等がミリ(型)単位を使用しているのです。 1型は、地板の直径が2.2558m/mで、19型は、その19倍の42.86m/mの大きさの時計ですよということです。一般に皆さんが腕に着けている 時計は、10型〜12型がほとんどで、地板の直径が22.558m/m〜27.069m/mのものです。ウオルサムのポケットウオッチは、 アメリカ製で19セイコーとほぼ同じ大きさですが、これは、18サイズといって、地板の直径が44.87m/mになっています。 時計のことについて、どんな事でもよろしいですから、どんどん私のメールに質問して下さい。お待ちしております。 ヒットカウンタ 160,000番 の方に記念品を差し上げます。画面をコピーして、住所・氏名を記入してお送り下さい。 10月1日 半世紀前のセイコー時計(No.242) 昭和24年(1949年)には、6型という呼称の婦人用小型腕時計が発売されました。これは、今の言葉でいうなれば、超人気商品で、 作っても作っても、生産が間に合わない位売れました。その頃は、ベルトコンベアーなどというしゃれた生産ラインなどありませんから、すべて手作りです。 工作機械とて、それ程精密に出来ていませんから、時計のベースになるべく基をプレスで打ち抜いてから実際に組立てるまでには、数多くの工程を経てからに なりますが、それらもすべて半分手作業みたいなものでした。不良品も沢山でましたし、連日残業でフル生産をしていました。当時、南京ムシという 愛称で親しまれていた時計で、女性に最も好まれていたものです。最近あまり見かけなくなりましたが、祖母、母の形見ということで、修理に持ち込まれる ことがあり、懐かしい想いがしております。 昭和30年(1955年)になりますと、紳士用中三針がユニークの名称(ペットネーム)で世にでてきました。スモール秒針の時計しか見たことのない 人達にとっては、夢にまで見た最高にハイカラな中三針腕時計です。赤い大きな秒針が、文字板の真中で回っている姿は、腕に着けているだけでちょっとした ステータスの時代でありました。輸入品では、同じ型の中三針時計はありましたが、高価であったため、誰でもが買えるといったものではありませんでしたが、 セイコーはリーズナブルなお値段でしたから、私達でも腕に着けることができたのです。 9月24日 ストップウオッチのお話(No.241) お話をセイコー亀戸工場に戻しましょう。 昭和24年ですから1949年になりますが、市場では何故かストップウオッチの需要がありました。セイコーの工場側も、生産ラインの復活が 容易であったこともあり、3作動の1/5秒計、1/10秒計、1/5積算計、1/10積算計の4機種の製造発売となりました。1/5秒計とは、1秒の目盛が0.2秒づつに 分かれていて、針の先で読みとれる時間が、1/5秒単位であるということです。これは、針が一回転するのに1分かかることになります。1/10秒計とは、 一回転30秒で1秒間が10目盛になってますから、1/10秒まで正確に計測できるわけです。積算式とは、針が止った位置から再び動き出して、 時間の積算ができるということです。大きさは18型で、工場の生産管理はもとより、各運動競技でも幅広く使われました。 これらが基になって、東京オリンピックの時には、キャリバー88と89が開発されました。(この件については、1963年のお話にします) ストップウオッチの 生産に引き続いて、10型小秒針付のスペシャルセイコーがわずかに生産されました。これは、切天府組付で、当時としては高級品として珍重され、 現在でも、アンティークマニアの中では垂涎のまととなってます。 9月17日 洗濯機に入れた時計(No.240) 精工舎の時計生産のお話をちょっとひと休みして、今回は洗濯した時計のことについてお話してみたいと思います。 上衣のポケットに時計を入れたまま洗濯してしまったという話はよく聞きます。 先日、外国製ですが、クオーツの高級品を洗濯機の中に入れて、ぐるぐる回してしまい、乾燥が終わって取り出してみたら止ってしまっていた、 ということで、修理にお持ちになった方がいらっしゃいました。 幸いにも、完全防水でしたので、水は入らずムーブメントにも錆はでていませんでした。普通では、海水3時間、真水3日といいまして、 ほとんどの時計は、すぐ手当てをしませんと駄目になってしまいます。しかし、今回の方は、水は入っていませんでしたが、完全に止ってしまいました。 検査の結果、クオーツの回路が破壊されていました。これは、洗濯機のモーターから発生する電磁波によって、IC回路が破壊されたものと判断しました。 モーターから発生する電磁波は、結構強いので、ヤワなクオーツ回路は、いとも簡単にやられてしまったものと思われます。 日常生活の中で、身の回りには意外と強い電磁波が飛びかってますので、注意したいところです。 機種によっては、電磁波をガードする対策が講じられているものがありますが、それはまれに見る高級品ですので、一般には常に注意することが大切です。 9月10日 戦後すぐの第二精工舎、亀戸工場(No.239) 昭和20年といいますと、丁度第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結した年です。その年の12月には、群馬県の桐生工場(これは第二精工舎の分散 疎開先になる)で19セイコーの生産が始まりました。軍需で生産していた航空機用の中味を普通の提時計として市場に出したわけです。 しかし当初は、国鉄向きに納品されたものが多く一般の我々は入手することは大変無難しい時代でした。 昭和21年7月には、エキストラフラットの名称で17型の提時計が仙台工場で生産されるようになりました。これはやはり戦時中軍用として生産されて いたポケットクロノグラフ(通称カラフ)のクロノグラフ部分のみ取り外して、普通の手巻時計として市販したもので、ほんの少ししか作られていませんでした。 現在でも希少価値があるポケットウオッチです。 昭和22年5月には、16型のゼルマの名称でポケットウオッチが、桐生工場から世に出ました。これも生産量が少なく、アンティーク市場でもなかなか 見る事ができなくなりました。 昭和23年7月になって、やっと、工作機械が復活した亀戸工場から、8型の婦人用小秒針がついたパリス側に納められたものが発売されました。 しかし、生産量が少なく時計に飢えていた市場では、時計店の店頭で並ばないうちからどんどん売れていく、そんな時代でした。 9月3日 セイコーロゴマークについて(No.238) 諏訪セイコーは、第二精工舎諏訪工場が本来の名称ですが、現在は、エプソンに変わってしまいました。エプソンといえば、パソコン、プリンターで 有名ですが、時計も作っているんだよ!!ということになります。 長野県の塩尻市に工場があります。機械式時計が大量に生産されていた1970年ごろまでは、第二精工舎(一般の人達は、ただセイコー舎といっている) 亀戸工場と諏訪工場とで数多く生産していました。そして、どこの工場で生産したかがひと目でわかる様に、文字板にマークをつけていました。 6時のところの#の字に似たロゴがそうです。横に長く伸びたマークが亀戸工場で、やや四角に近い形のマークが諏訪工場製です。 前回までにお話したマーベルやマチック、クラウンには、すべてこのマークが刻字されてます。ひと目で諏訪工場製と解ります。これも一部マニアの人達の 間では、知れ渡っている事実です。 次回は、諏訪工場製品をひと休みして、亀戸工場の製品についてお話しましょう。 8月27日 諏訪セイコーの巻(其の二)(No.237) 諏訪セイコーのお話を少し続けてみましょう。 5720のグランドセイコーは、発売当時から人気が高く、当時は25,000.-の価格でしたが、どこの店でも入荷すると、その日のうちに売れてしまったとの ことです。1961年には、3月にクラウンセルフデーター21石、セイコーマチックが搭載された防水ブルーヨット、66スポーツマン搭載の防水時計ドルフィン が殆んど同時に発売になりました。7月になると、セイコーマチックの普及品で6601の12型スポーツマチックが17石と19石で発売になりました。 スポーツマチックは、竜頭でぜんまいを巻くことができないので、やや評判が悪く、ユーザーに認識されるまで、大分時間がかかったようです。 同じく7月には、66のキャリバーで、電器メーカーOEMで11型ローレル66ラジオタイマーが製造されましたが、これは、一般のユーザーには、 殆んど知られていなかったようです。8月になりますと、12型5760クラウンの正常進化、クラウンスペシャル23石が産声をあげました。 100ミクロンの金張りで、一見グランドセイコーに近い感じでしたので、これもまた、ライク ア ホットドッグでした。 10月には、6600スポーツマンと同じもので、ディズニータイムが7石入りで、ミッキーマウス、シンデレラ、ドナルドダックでデビューしました。 11月には、6200ライナーの普及版ともいえるスカイライナーが21石と17石で発売され、同時に別名ハーモニーも顔を出してます。 次は、1962年5月までは、ちょっとひと休みです。 8月20日 セイコーのキャリバーは1956年から(諏訪セイコーの巻)(No.236) 何回か前のひとり言で、昔のセイコーにはキャリバーなどというハイカラな呼称はなく、もっぱらペットネームで呼んでいたという話をしたことがあります。 セイコーマーベルという名称の11型ベースの紳士用時計が、第二精工舎諏訪工場から発売になったのは、1956年(昭和31年)6月ですが、その時 初めてキャリバーがつきました。“55”です。正常進化のロードマーベルも、低価格帯のローレルも同じく“55”でした。その後、初期型のグランドセイコーの 基となったクラウンが1959年3月に発売になりましたが、これは12型ベースで、キャリバーは“57”です。そして、マーベルの自動巻が開発されて 1959年7月に発売になりましたが、これのキャリバーも“55”でした。マイナーチェンジをすればキャリバーも替わるということは、当時は考えられて いなかったようです。 1960年の1月には、スポーツマンが発売になりましたが、これもマーベルと同じベースで、キャリバーは“55”でした。 この頃は、高度成長期に入ってましたので、次から次へと新製品が開発、発売されていました。4月には6201のセイコーマチック、6月には6200の セイコーライナー、11月には同じく“55”のセイコーラジオタイマー(ローレルベース)、そして12月にアンティークマニアが探し求めている 5720(クラウンベース)のグランドセイコー初期型が発売になったのです。当時、金張りで25,000.-です。12月には、10型スポーツマンセブンティーン、 キャリバー6600が発売になりました。そして1961年に入るわけですが、この年は新製品9種類が顔を揃えます。 8月13日 110年目のセイコー(No.235) 今年は、セイコー舎が世に時計を送り出してから110年目に当ります。精巧な時計から精工舎になったとのことです。墨田区の石原町に工場を建てたの ですが、はじめは掛時計と目覚し時計を作っていましたが、その頃既に石原町が住宅地であったため、モーターの騒音の問題で現在の錦糸町近くの大平町に 工場を移したのです。私達の知っている精工舎は、その頃の事からが多いようです。 1876年にタイムキーパーの名称で鉄道時計とほぼ同型のポケットウオッチを製造していますが、これはシリンダーエスケープメントで、現在の レバー式とは構造に違いがあり、メンテナンスが難しく時計店からはあまり歓迎されていませんでした。 1899年には、アメリカのウオルサムからヒントを得たと思われるレバー式のエキセレント(17型)が発売になり、1906年から恩賜の時計として 使用されていました。 1909年にエンパイヤ(16型)、1913年ローレル(12型)、1914年にワールド(16型)、1916年にライト(17型)、1916年 ライト(新17型)、1924年モリス型(9型)これはミリタリー用として、二重ケースに取付けて、イカリマークとサクラマークで戦場を駆け巡ったもの。 1927年モーリス型(8型)、1932年セイコーナルダン(17型)、1933年セイコーレディス(5型)、1929年19セイコー鉄道時計、 1941年19セイコー軍用(時マーク)と17型クロノグラフが発売になりました。この頃になると、戦時色が濃くなってきて、一般の人は時計を手に入れる ことは全く出来なくなり、軍関係者のみに限られていました。1945年の終戦を迎えてから、早々に復活した東京の亀戸工場で細々と時計生産が始まったのでした。 この頃は、疎開先から焼け残ったパーツを集めて組立てることが精一杯で、あとは焼けた工作機械を復活させる作業で追われていました。 8月6日 田中久重のこと(No.234) 1937〜8年の頃と思いますが、講談社から出版された“田中久重”という面白い絵本がありました。私が小学生の頃、この本が大好きで何回も何回も読んだ 記憶があります。この本がきっかけで私が時計屋になったといっても過言ではないようです。最近ですが、集英社から童門冬二さんが書かれた同名の 田中久重の小説が発刊されましたので、早速に購入して現在読んでいます。小さい頃、絵本で読んだかすかな想い出の中の田中久重に今再びめぐり遭えた ような気がしてなりません。 愛知万博には、現セイコーの技術グループが製作した万年時計“自鳴鐘”のレプリカが展示してあります。本物は上野の科学博物館にありますので、 ご覧になってみて下さい。1850年代に、日本にもこんなものを作った人がいたのですから、大変なことであったと思います。 7月30日 新開発の電波時計(No.233) 電波時計については、もう何回となくこの項でお話しましたが、今までに開発されて発売されていたものは、あくまで日本国内で有効なものばかりでした。 アメリカやヨーロッパでは通用しないものでした。 しかし、今年の9月から全く新しい電波時計がお目見えします。いわゆる電波時計の国際版といったところでしょう。 これは、セイコーとドイツのユングハンス社の共同開発によるもので、ドイツ、フランクフルトとアメリカ、コロラド州から発信される電波の受信が可能と なったのです。これは、セイコーエプソンの強みである高精密加工技術と低消費電力デバイス技術により、電子デバイスの小型を進め多機能ながら厚み3.5m/m の薄さを実現したわけです。 受信可能局は、日本JJY40kHz、60kHz、ドイツDCF77(77.5kHz)、アメリカWWVB(60kHz)の4局となります。 付加機能として、電波修理機能、自動受信機能、強制受信機能、受信結果表示機能、ワールドタイム機能(希望する時刻ゾーンを選択できる)、針位置自動 修整機能、ソーラー充電機能、又フル充電で約6ヶ月駆動、パワーセーブ時では、1年半駆動します。我が家の標準時計として、1ヶはあっても良いでしょうね。 普通に使える電波修整時計は、置時計で2,000.-から、腕時計で7,000.-位から各種販売されてます。(東京時宝眼小売公報参照) 7月23日 スピード取締り(No.232) ひと昔前までの自動車のスピード取締り、つまり“ネズミ捕り”は、ストップウオッチを使っていました。 作動方法には、幾通りかありますが、一番原始的な方法としては、電柱の影に隠れた警官が早そうな車が前を通った時、旗を振ります。 その旗を見て30mなり50mなり先方にいるもう一人の警官が、ストップウオッチを押すのです。その後、目の前に来た時の計測値で早い車をすぐ先で 止めるのです。これは、旗の振り方や、ストップウオッチの押し誤差(個人によっては4/100秒〜15/100秒位まである)などがあり、問題が多く長続きは しませんでした。 その後、有線によってソレノイド方式でストップウオッチの発進・停止を行い、やや正確になってきました。 しかし、これはあくまで目視による手動ですから押し誤差を 0 にすることはできません。そして開発されたのが、光電管方式でクオーツ計測器との組み合わせです。 その他ドップラー効果による瞬間に結果が出る取締りも行える様になり、走行中のパトカーからもスピード取締りが出来るようになりました。 昔は単なるストップウオッチでしたが、時間計測器と名が変わると、いろいろなことに使われますね。 7月16日 ストップウオッチのお話 その2(No.231) 1回転が1分のストップウオッチですと、90°で15秒、180°で30秒、とはっきり読むことができます。放送関係の仕事をしている人達は、 番組を制作する上で時間は秒読みで大切なことになります。インタビューなど、何気なく見ていますが、ディレクターさんにとっては、きめられた時間、 それも秒単位でどれだけきちんと話をしてくれるかが大切な仕事になってきます。そんな時は、デジタル式のストップウオッチより、アナログ式の方が どれだけ良いかがはっきり解ってくるのです。 ただ、アナログ式のストップウオッチは、発進、停止の時に、ポチッという音がでます。この音が困るということが あるのです。しかし、アナログ式のストップウオッチでも、この発進、停止の時に全く音が出ないものがあるのです。 映画や、TV関係者の為に開発されたストップウオッチですが、スライド式というタイプのものがあるのです。 音もなく静かに動き出し、静かに止るのです。映画やTV関係の方達に喜んで使ってもらったものですが、最近はあまり見受けなくなりました。 懐かしいストップウオッチです。 7月9日 ストップウオッチのお話(No.230) ストップウオッチと言って、すぐ思い出すのが運動会の駆け足で100mや200m、或いはトラック競技で何分何秒で走ったかを計るものですね。 しかし、単にストップウオッチといっても、その使用目的によって、いろいろな種類があるのです。 スプリットクロノグラフという針が2本重なって動き出し、それぞれ1本ずつ止るものがあります。これは競走の時は1位と2位のタイムを 計ることができるわけです。又、一般のストップウオッチは、1回転に対して60秒の目盛と1秒の1/5づつの目盛が記されていて、1秒の1/5つまり、 0.2秒づつ計測されるものが標準です。 それに対して、30秒で1回転するものがあります。これは1回転60秒の2倍の速さですから、目盛も1/10秒(0.1秒)づつになっていますので、1/5秒計より 倍の読みができるわけです。又、1回転が15秒のもの、3秒のものといろいろありますが、最近はデジタル式のストップウオッチが普及してきましたので、 アナログ式は少し影が薄くなってきました。しかし、仕事の内容によっては、アナログ式でないと困るものが結構あるようです。次回つづく。 ヒットカウンタ 150,000番 の方に記念品を差し上げます。画面をコピーして、住所・氏名を記入してお送り下さい。 7月2日 約束の時間(No.229) 何日か前の読売新聞に立松和平さんのコラムが載っていました。約束の時間を守らない人が多いということで書いていらっしゃいました。 立松さんは、約束の時間を守らない人に、そんなに腹を立てていらっしゃいませんでした。それなりの付き合いをすれば良いとの事でした。 私は、その昔セールスマンをしておりました。お得意さんに伺うときは、必ずアポをとってからにしてました。そして約束の時間になると、必ずその 10分〜15分前に近くまで行って時間を調整して、約束の時間にきちんと門を叩くことにしていました。5年間セールスをやっていましたが、 このことは、5年間守り続けたと今でも思ってます。人との待ち合わせの時は、自分は待っても、他人を待たせないということは、今でも守り続けてます。 最近は、携帯電話などという便利なものがありますので、これに頼り、平気で遅れて来る人がいますが、私は間違っていると思います。 最近では、私の孫達が毎朝学校に行くのに友達と待ち合わせていますが、うるさい位に早くしろ早くしろと言ってます。 そして家の前で友達を待つ様にさせてます。時計屋の子供達ですから、そんな事位させても良いと思ってます。 |
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