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12月29日 相談窓口のお話(No.109) 少しの間お休みをしてしまいました。一週間があっという間に来るので結構大変です。 平成12年7月から始めましたが、もうかれこれ2年近くになります。 よく続いているものだと自分ながらに感心しています。 今回は相談窓口のお話です。 時計に限らず、電化製品やカメラなど、機械もののアフターサービスでは 各メーカーが“お客様サービス”の窓口を開いていますが、 “お客様は神様です”の歌の通り、コダワリや愛着を持ったお客様が多く どこの相談窓口でも大変なことになっています。 取り扱い方法が間違っていたり、自分の不注意で具合が悪くなった商品でも すべてメーカーが悪かったり、製品がもともと不良であったかのような話をしている人が圧倒的に多いからです。 最近は、なんでも他人のせいにする風潮が広がっています。 そんなことで、メーカーのお客様相談室の窓口対応の役目は 心臓にも毛が生えていなければできそうにもありません。 お客様と話をしていて、怒鳴られて泣き出す女性もいると聞いています。 皆様も、これから何かにつけてお客様相談室に相談することが出てくると思われますが、 どうぞ穏やかにお話を進めてください。 そうすることによって、きっとスムーズに事が運ぶと思います。 いきなり文句を言う。怒鳴りつける。一方的に苦情を言う。お前呼ばわり…。 これはダメです。 相手も人間です。穏やかな話し方で、きっといいことありますよ! 2002年最後の更新になりました。 毎日メールで時計に関わるご相談がたくさん寄せられてきますので、 対応に追われるめまぐるしい一年でした。 皆さん、良いお年をお迎えください。 12月15日 セイコー初期の時計 その9 (No.108) グランドセイコー開発の基礎になった、マーベル、クラウンは、ロードマーベルを中間に発売し、 36年(1961年)に初期のグランドセイコーを、発表したものです。 初期型のグランドセイコーは、現在、アンティーク市場では、人気が高くコンディションの良いものは、オークションでは40万円位で、落札されています。 クラウンが、発売された時と殆ど同時に、マーベルをベースとした、 国産初の自動巻ジャイロマーベルが、発売になってます。 このジャイロマーベルは、自動巻の機構が、セイコーの特許になっていて、 ローターの回転に依る両方向巻上げ式で、効率も良く、ベアリングの音が一寸気になりますが、 当時としては、画期的な自動巻として人気があり、現在でもアンティーク市場で好評です。 翌年、薄手の自動巻セイコーマチックと、クラウン類似の薄型手巻きのライナー、 中学生向きのスポーツマンセブンティーン、などが発売になりました。 この頃から、薄型時計の生産競争に入って行きます。亀戸工場からは、ゴールドフェザー の名称で、羽の様に薄いという謳い文句で、極薄型の紳士用高級品が、華やかにデビュー これも一時は、プレミアム付で売り出されたりして、大騒ぎしたものです。 |
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12月1日 セイコー初期の時計 その8
(No.107)
1958年の9月になりますと、諏訪セイコーからローレルが発売になりました。 これはマーベルの普及品で規格は同じですが、少し手抜き作業で組立てた廉価品です。 翌年の1959年3月にクラウンがお目見えします。 このクラウンは後にグランドセイコー(初期型)として正常進化型で発表されるわけですが、 これは今でもアンティークマニア唾涎の的で人気のトップを占めています。 発売当時はAGFケースで2万5千円でしたが、 現在ではベストコンディションですと3万5千〜4万円はしています。驚いたものですね。 同じ年(1959年)の7月には、マーベルがベースになった自動巻が発売になりますが (これは戦後初の国産自動巻として発表されたものです)、 自動巻の機構がマジックレバー式といって、まったく新しいセイコーが特許を持った 新機構でありました。 その後セイコーの自動巻はほとんどこのマジックレバー式をとっていましたので、 安定した自動巻ということで評判が良かったようです。 世界中の自動巻時計をみても、これと同じ方式のものは見たことがありませんね。 今、書店の店頭に並んでいる文芸春秋社発行、B5版のTITLE(タイトル)という名のムックがありますが、 この本の147ページに、私めの選びました国産時計が3個載っています。 興味のある方はちらりと読んでみてください。 暮れになりますと、立風書房からまたまた時計のおもしろ本が発売されますので、 間近になりましたらまたお知らせいたします。 11月24日 「職人になる本」 (No.106) もう二年も前になりますが、練馬区の永岡書店から 「職人になる本」というタイトルで一冊の単行本が出版されました。 TBSラジオの永六輔の番組内で大声を張り上げている山中伊知郎さんが書いた本です。 100種を越える各職業に携わる職人さんにインタビューして書き上げたものです。 時計職人のことでは、私のところがインタビューを受けまして、少しお話をさせていただきました。 この本を読んでみますと、手に職をつける仕事師がどんどん少なくなってゆく姿が少しわかります。 でも手職の仕事は不況に強いです。 何故か私のところも連日大忙しで、英語でいう「ライク ア ホット ドッグ」です。 最近特に相談が多いのですが、 時計技術を身につけたいという方が多く訪ねてみえるようになりました。 不景気だから、ということでもないでしょうが、おもしろい現象と思います。 労働基準法さえなかったら、手職の技術者はどんどん増え続けてゆくと思いますが、 国が決めた法律でとんでもないことになってしまいました。 桐ダンス、風呂桶、時計、紙すき、木工、大工、植木、すだれ、和竿、足袋、刀匠、 江戸切子、蒔絵、表具、寄席文字、提灯、べっ甲、寿司、パン、蕎麦、ケーキ、 卵焼き、尺八、三味線、etc.の職人さんは特に不足しています。 皆さん、興味がありましたら山中伊知郎さんの本をぜひ読んでみてください。 続きは次回に… 11月17日 OZONEのREフェアーありがとうございました (No.105) 10月31日から11月5日まで新宿のパークタワービルでREフェアーが開催され、 大勢のお客様がお見えになりました。 修理もたくさんお預かりして、にわかに大忙しになってしまいました。 修理をお持ちになるお客様とお話をしておりますと、 皆さん夫々に、想い出のある時計、思い入れのある時計、おじいさんの形見、 おばあさんの形見、と何かしら心のつながりのあるものばかりでした。 そんな大切な時計ばかりたくさんお預かりしてしまいましたので、 今、心を引き締めて仕事をしています。 どなたでも家の中で眠っている古い時計が、いくつかはあると思いますが、 止まったままでは時計がかわいそうです。 電池で冷たく動き続ける時計よりも、ネジを巻いてコチコチ動く時計のほうが 遥かに深みがあって心和むはずです。 また、少しずつ狂ってしまうところもかわいらしいと思いませんか。 あまり頭の良い子より、少し出来の悪い子供のほうがかわいらしいと よく言いますが、その通りです。 機械時計は毎日餌をやらないと、 鳴き出してダダをコネるペットみたいなものですからかわいらしいですよね!! 11月10日 セイコー初期の時計 その7 (No.104) 亀戸工場から中三芯のユニークが発売になりましたが、 同じ年の暮れにパワーリザーブのついた11型の自動巻きが発売になりました。 その頃はパワーリザーブなどというハイカラな名称はなく、 巻印付自動巻といっていました。 これは現在ヒコミズノで講師をしている石原さんが班長のラインで製作をしていましたので、 今でも一部の人達は石原自動巻といっています。 現在ではアンティークマーケットで貴重な存在になっています。 いわゆる巻印針を作動させる構造が複雑で、 理解に乏しい修理屋さんは嫌がって直そうとしないようです。 翌々年の1957年にセイコーメリット、三針のパープル5型のソーラーが世に出てきました。 戦後レディスウオッチの流行のスタートでした。 諏訪セイコーではマーベル、ロードマーベルと次々に発売し、 亀戸工場ではクロノスを発売するということで、 同じ精工舎の中で、我が工場こそはと競い合っていたものでした。 それぞれに開発費をかけ、お互いに極秘裏にやっていたわけですから、 今考えると、何をやっていたのだといいたいところです。 11月4日 セイコー初期の時計 その6 (No.103) またまた話がもどります。 昭和21年(1946年)に精工舎の新10型が発売になりましたが、 23年(1948年)には中三針が発売になりました。 これは、初期型のものは幻の中三針で、三番車が二段になっている 特殊な構造をしていました。 ほんのわずかしか生産されず、すでに本中三針に変ってしまいました。 この二段式三番車が組み込まれた中三針は、 現在でもエプソン資料館にも一個しかありません。大変貴重な品です。 昭和25年(1950年)に中三針スーパーが発売になりました。 これは本格的な中三針で、イプシロンという名称の耐震装置が組み込まれた アンティショック付の初期型でした。 ショックプルーフの耐震装置だけ輸入品を組み込んだもので、 当時としては画期的な製品であったわけです。 その翌月に亀戸工場から婦人用の6型腕時計が発売になりました。 後でメリットの名称がつけられましたが、その前身です。 これが発売になった頃は、在庫する暇がなく、どんどん売れていた時代です。 英語でいう「ライク ア ホットドック」です。 その後、10型カレンダー付、スーパーオートデータ、スーパーセルフデーターと たて続けにカレンダー付が発売になり、 昭和30年(1955年)にスーパーよりちょっと薄手のユニーク(本中三)が亀戸工場から発売になりました。 前にも一度お話したことがありますが、 この頃は諏訪工場と亀戸工場とが技術争いをくり広げていた真っ最中といったところでした。 10月19日 「OZONEのREフェアー」 (No.102) 新宿都庁のすぐ近くに、新宿パークタワービルがあります。 東京ガスのショールームがある52階のビルです。 そこで10月31日から11月5日まで「OZONEのREフェアー」が開催されます。 6日間の限定イベントですが、「再生利用」「再利用」「作り直し」「修理」がテーマです。 ホンマウオッチとして修理の実演出店をすることになりました。 第一会場から第五会場まで各フロアにわかれてテーマ別に開催されますが、 修理の会場は3階です。 蓄音機、ラジオ、宝飾、家具、靴、バッグ、楽器、玩具、時計etc. 修理職人が実演と販売をかねて出店します。 私のところでは、修理相談コーナーとアンティーク時計の販売をする予定です。 おじいさんの古時計も何点か準備しましたので、 興味のある方は、ぜひお出かけになってみてください。 新宿南口下車、20号線(甲州街道)初台方面、徒歩8分のところです。 楽しいイベントですので、ご家族連れ、またはお好きな方とご一緒にお出かけください。 いらっしゃいましたら、私めのところでぜひ「ホームページを見たよ!」とお声掛けください。 何かいいことあるかもしれません。 では、また。 10月13日 セイコー初期の時計 その5(No.101) ここのところ機械式時計に関する内容の記事を掲載する新聞が増えています。 日刊工業新聞、日経産業新聞、日本経済新聞と、 立てつづけに「ぬくもりのある」機械式時計の特集を組んでいます。 大手のデパートでも盛んに時計フェアーを開催していますが、 売り上げも億単位の好成績を上げているようですね。 お陰様で…とでも申し上げたら良いのかわかりませんが、 ホンマウオッチラボでは機械式時計の修理依頼が殺到して大忙しをしております。 昭和21年の中頃に、戦後初の国産腕時計が発売になりました。 5型の婦人用と10型の紳士用のものですが、 5型の婦人用の時計は、戦前の残り部品で組立てたものですから ほんの少ししか生産されませんでした。 10型の紳士用は、長野県諏訪工場(現エプソン)で生産された 7石のクローム側に収められた文字盤も貧弱なものでしたが、飛ぶように売れたようです。 終戦後、間もなくは、どんな時計でも店に並べれば売れた時代で、 工場から出荷されたものでも、問屋には数が割り当てられたり、抽選で仕入れが決まったりしていたものです。 その当時の生産能力からみると、時計の普及率が戦前(1945年以前)と同じになるのには、 30年かかるといわれていました。 しかし1960年頃には達成されていたようです。 10月6日 セイコー初期の時計 その4 (No.100) 17型のゼルマとエキストラフラットの名称で発表されたポケットウオッチです。 1946年にはエキストラフラット17型7石が発売になりました。 これは1940年代に生産されたセイコー17型クロノグラフがありましたが、 このクロノグラフの部分だけを取り外したもので、クロノグラフの機構がない、 ただのポケットウオッチでした。薄型のスマートな懐中時計でした。 防空壕のなかで戦災をまぬがれた部品で生産しましたから、 一種類の部品が不足しただけで生産は打ち切りとなり、 本当に少ししか生産されませんでした。 17型ゼルマも7石で、1947年にはほんの少し生産されただけで世を去りました。 ふたつともまぼろしのポケットウオッチです。 戦後まもなくの品ですから、文字盤の印刷も悪く、ケースのメッキもひどいものでした。 現在残っているものでも、グレードの高いものはほとんどなく、みじめなものばかりです。 9月22日 セイコー初期の時計 その3 (No.99) 昭和5年に産声を上げた19型セイコーは、セイコーが誇る名機です。 発売された当時は、四つバネ式といわれて、アメリカンウォルサムのタイプに似ていました。 ぜんまいを巻いたり、時間合わせをする機構が現在一番多く親しまれている、 レバー式とちょっと違ってます。 その後何回か変更されて、1970年頃まで生産を続けていました。 40年間も同じ型を作り続けていたわけで、現在の製品としては大変珍しいことです。 また、部品の寸法もまったく変らず、昔のものと、製造を中止するまでの品物では、 部品の寸法がまったく同じであったことです。 わずかの変換があったにせよ、部品がほとんど変っていないことは、 修理の上で大変ありがたいことです。 この19セイコーは盲人用の時計ベースになったり、 戦闘機(ゼロ戦)のコクピットに収まったり、 軍用として中三芯に改造されたりして、1945年(終戦)まで活躍していました。 戦争がたけなわになってきて、時計生産も思うようにできなくなり、 部品はすべて防空壕の中に格納されていましたが、終戦と同時に戦災を免れた部品を使って早速に組立て、 1945年12月には、国鉄用として戦後初の国産時計が世に出ました。 これはセイコーの桐生工場で生産されたものです。 その後、防空壕疎開部品で組立てた幻の懐中時計が発売されます。 |
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