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1月11日 あけましておめでとうございます(No.110) 皆さん あけましておめでとうございます。 私のホームページ「ひとり言」をご覧くださっていらっしゃる 皆様におかれましては、今年は更なる躍進の年で ありますことを、お祈り申し上げます。 2002年もアッという間の一年でした。 おそらく今年も、同じように過ぎて行く事と思います。 一度このページで、お話したと思いますが、年々、時間が経つのが 早く感じるようになって来ます。が、これは、自分が年をとって 動作や、考え方が、遅くなってきている証しです。 時は、万人に平等に与えられ、しかも、同じ速さで進んで(過ぎて)ゆきます。 時が、急行列車になる訳はありません。自分が、鈍行列車になっているので、 急行に追い越されるわけですが、適度な運動と食事療法で、 追い越されない様、頑張った一年でした。 12月29日 相談窓口のお話(No.108)
12月15日 セイコー初期の時計 その9 (No.107) グランドセイコー開発の基礎になった、マーベル、クラウンは、ロードマーベルを中間に発売し、 36年(1961年)に初期のグランドセイコーを、発表したものです。 初期型のグランドセイコーは、現在、アンティーク市場では、人気が高くコンディションの良いものは、オークションでは40万円位で、落札されています。 クラウンが、発売された時と殆ど同時に、マーベルをベースとした、 国産初の自動巻ジャイロマーベルが、発売になってます。 このジャイロマーベルは、自動巻の機構が、セイコーの特許になっていて、 ローターの回転に依る両方向巻上げ式で、効率も良く、ベアリングの音が一寸気になりますが、 当時としては、画期的な自動巻として人気があり、現在でもアンティーク市場で好評です。 翌年、薄手の自動巻セイコーマチックと、クラウン類似の薄型手巻きのライナー、 中学生向きのスポーツマンセブンティーン、などが発売になりました。 この頃から、薄型時計の生産競争に入って行きます。亀戸工場からは、ゴールドフェザー の名称で、羽の様に薄いという謳い文句で、極薄型の紳士用高級品が、華やかにデビュー これも一時は、プレミアム付で売り出されたりして、大騒ぎしたものです。 |
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12月1日 セイコー初期の時計 その8
(No.106)
1958年の9月になりますと、諏訪セイコーからローレルが発売になりました。 これはマーベルの普及品で規格は同じですが、少し手抜き作業で組立てた廉価品です。 翌年の1959年3月にクラウンがお目見えします。 このクラウンは後にグランドセイコー(初期型)として正常進化型で発表されるわけですが、 これは今でもアンティークマニア唾涎の的で人気のトップを占めています。 発売当時はAGFケースで2万5千円でしたが、 現在ではベストコンディションですと3万5千〜4万円はしています。驚いたものですね。 同じ年(1959年)の7月には、マーベルがベースになった自動巻が発売になりますが (これは戦後初の国産自動巻として発表されたものです)、 自動巻の機構がマジックレバー式といって、まったく新しいセイコーが特許を持った 新機構でありました。 その後セイコーの自動巻はほとんどこのマジックレバー式をとっていましたので、 安定した自動巻ということで評判が良かったようです。 世界中の自動巻時計をみても、これと同じ方式のものは見たことがありませんね。 今、書店の店頭に並んでいる文芸春秋社発行、B5版のTITLE(タイトル)という名のムックがありますが、 この本の147ページに、私めの選びました国産時計が3個載っています。 興味のある方はちらりと読んでみてください。 暮れになりますと、立風書房からまたまた時計のおもしろ本が発売されますので、 間近になりましたらまたお知らせいたします。 11月24日 「職人になる本」 (No.105) もう二年も前になりますが、練馬区の永岡書店から 「職人になる本」というタイトルで一冊の単行本が出版されました。 TBSラジオの永六輔の番組内で大声を張り上げている山中伊知郎さんが書いた本です。 100種を越える各職業に携わる職人さんにインタビューして書き上げたものです。 時計職人のことでは、私のところがインタビューを受けまして、少しお話をさせていただきました。 この本を読んでみますと、手に職をつける仕事師がどんどん少なくなってゆく姿が少しわかります。 でも手職の仕事は不況に強いです。 何故か私のところも連日大忙しで、英語でいう「ライク ア ホット ドッグ」です。 最近特に相談が多いのですが、 時計技術を身につけたいという方が多く訪ねてみえるようになりました。 不景気だから、ということでもないでしょうが、おもしろい現象と思います。 労働基準法さえなかったら、手職の技術者はどんどん増え続けてゆくと思いますが、 国が決めた法律でとんでもないことになってしまいました。 桐ダンス、風呂桶、時計、紙すき、木工、大工、植木、すだれ、和竿、足袋、刀匠、 江戸切子、蒔絵、表具、寄席文字、提灯、べっ甲、寿司、パン、蕎麦、ケーキ、 卵焼き、尺八、三味線、etc.の職人さんは特に不足しています。 皆さん、興味がありましたら山中伊知郎さんの本をぜひ読んでみてください。 続きは次回に… 11月17日 OZONEのREフェアーありがとうございました (No.104) 10月31日から11月5日まで新宿のパークタワービルでREフェアーが開催され、 大勢のお客様がお見えになりました。 修理もたくさんお預かりして、にわかに大忙しになってしまいました。 修理をお持ちになるお客様とお話をしておりますと、 皆さん夫々に、想い出のある時計、思い入れのある時計、おじいさんの形見、 おばあさんの形見、と何かしら心のつながりのあるものばかりでした。 そんな大切な時計ばかりたくさんお預かりしてしまいましたので、 今、心を引き締めて仕事をしています。 どなたでも家の中で眠っている古い時計が、いくつかはあると思いますが、 止まったままでは時計がかわいそうです。 電池で冷たく動き続ける時計よりも、ネジを巻いてコチコチ動く時計のほうが 遥かに深みがあって心和むはずです。 また、少しずつ狂ってしまうところもかわいらしいと思いませんか。 あまり頭の良い子より、少し出来の悪い子供のほうがかわいらしいと よく言いますが、その通りです。 機械時計は毎日餌をやらないと、 鳴き出してダダをコネるペットみたいなものですからかわいらしいですよね!! 11月10日 セイコー初期の時計 その7 (No.103) 亀戸工場から中三芯のユニークが発売になりましたが、 同じ年の暮れにパワーリザーブのついた11型の自動巻きが発売になりました。 その頃はパワーリザーブなどというハイカラな名称はなく、 巻印付自動巻といっていました。 これは現在ヒコミズノで講師をしている石原さんが班長のラインで製作をしていましたので、 今でも一部の人達は石原自動巻といっています。 現在ではアンティークマーケットで貴重な存在になっています。 いわゆる巻印針を作動させる構造が複雑で、 理解に乏しい修理屋さんは嫌がって直そうとしないようです。 翌々年の1957年にセイコーメリット、三針のパープル5型のソーラーが世に出てきました。 戦後レディスウオッチの流行のスタートでした。 諏訪セイコーではマーベル、ロードマーベルと次々に発売し、 亀戸工場ではクロノスを発売するということで、 同じ精工舎の中で、我が工場こそはと競い合っていたものでした。 それぞれに開発費をかけ、お互いに極秘裏にやっていたわけですから、 今考えると、何をやっていたのだといいたいところです。 11月4日 セイコー初期の時計 その6 (No.102) またまた話がもどります。 昭和21年(1946年)に精工舎の新10型が発売になりましたが、 23年(1948年)には中三針が発売になりました。 これは、初期型のものは幻の中三針で、三番車が二段になっている 特殊な構造をしていました。 ほんのわずかしか生産されず、すでに本中三針に変ってしまいました。 この二段式三番車が組み込まれた中三針は、 現在でもエプソン資料館にも一個しかありません。大変貴重な品です。 昭和25年(1950年)に中三針スーパーが発売になりました。 これは本格的な中三針で、イプシロンという名称の耐震装置が組み込まれた アンティショック付の初期型でした。 ショックプルーフの耐震装置だけ輸入品を組み込んだもので、 当時としては画期的な製品であったわけです。 その翌月に亀戸工場から婦人用の6型腕時計が発売になりました。 後でメリットの名称がつけられましたが、その前身です。 これが発売になった頃は、在庫する暇がなく、どんどん売れていた時代です。 英語でいう「ライク ア ホットドック」です。 その後、10型カレンダー付、スーパーオートデータ、スーパーセルフデーターと たて続けにカレンダー付が発売になり、 昭和30年(1955年)にスーパーよりちょっと薄手のユニーク(本中三)が亀戸工場から発売になりました。 前にも一度お話したことがありますが、 この頃は諏訪工場と亀戸工場とが技術争いをくり広げていた真っ最中といったところでした。 10月19日 「OZONEのREフェアー」 (No.101) 新宿都庁のすぐ近くに、新宿パークタワービルがあります。 東京ガスのショールームがある52階のビルです。 そこで10月31日から11月5日まで「OZONEのREフェアー」が開催されます。 6日間の限定イベントですが、「再生利用」「再利用」「作り直し」「修理」がテーマです。 ホンマウオッチとして修理の実演出店をすることになりました。 第一会場から第五会場まで各フロアにわかれてテーマ別に開催されますが、 修理の会場は3階です。 蓄音機、ラジオ、宝飾、家具、靴、バッグ、楽器、玩具、時計etc. 修理職人が実演と販売をかねて出店します。 私のところでは、修理相談コーナーとアンティーク時計の販売をする予定です。 おじいさんの古時計も何点か準備しましたので、 興味のある方は、ぜひお出かけになってみてください。 新宿南口下車、20号線(甲州街道)初台方面、徒歩8分のところです。 楽しいイベントですので、ご家族連れ、またはお好きな方とご一緒にお出かけください。 いらっしゃいましたら、私めのところでぜひ「ホームページを見たよ!」とお声掛けください。 何かいいことあるかもしれません。 では、また。 10月13日 セイコー初期の時計 その5(No.100) ここのところ機械式時計に関する内容の記事を掲載する新聞が増えています。 日刊工業新聞、日経産業新聞、日本経済新聞と、 立てつづけに「ぬくもりのある」機械式時計の特集を組んでいます。 大手のデパートでも盛んに時計フェアーを開催していますが、 売り上げも億単位の好成績を上げているようですね。 お陰様で…とでも申し上げたら良いのかわかりませんが、 ホンマウオッチラボでは機械式時計の修理依頼が殺到して大忙しをしております。 昭和21年の中頃に、戦後初の国産腕時計が発売になりました。 5型の婦人用と10型の紳士用のものですが、 5型の婦人用の時計は、戦前の残り部品で組立てたものですから ほんの少ししか生産されませんでした。 10型の紳士用は、長野県諏訪工場(現エプソン)で生産された 7石のクローム側に収められた文字盤も貧弱なものでしたが、飛ぶように売れたようです。 終戦後、間もなくは、どんな時計でも店に並べれば売れた時代で、 工場から出荷されたものでも、問屋には数が割り当てられたり、抽選で仕入れが決まったりしていたものです。 その当時の生産能力からみると、時計の普及率が戦前(1945年以前)と同じになるのには、 30年かかるといわれていました。 しかし1960年頃には達成されていたようです。 10月6日 セイコー初期の時計 その4 (No.99) 17型のゼルマとエキストラフラットの名称で発表されたポケットウオッチです。 1946年にはエキストラフラット17型7石が発売になりました。 これは1940年代に生産されたセイコー17型クロノグラフがありましたが、 このクロノグラフの部分だけを取り外したもので、クロノグラフの機構がない、 ただのポケットウオッチでした。薄型のスマートな懐中時計でした。 防空壕のなかで戦災をまぬがれた部品で生産しましたから、 一種類の部品が不足しただけで生産は打ち切りとなり、 本当に少ししか生産されませんでした。 17型ゼルマも7石で、1947年にはほんの少し生産されただけで世を去りました。 ふたつともまぼろしのポケットウオッチです。 戦後まもなくの品ですから、文字盤の印刷も悪く、ケースのメッキもひどいものでした。 現在残っているものでも、グレードの高いものはほとんどなく、みじめなものばかりです。 9月22日 セイコー初期の時計 その3 (No.98) 昭和5年に産声を上げた19型セイコーは、セイコーが誇る名機です。 発売された当時は、四つバネ式といわれて、アメリカンウォルサムのタイプに似ていました。 ぜんまいを巻いたり、時間合わせをする機構が現在一番多く親しまれている、 レバー式とちょっと違ってます。 その後何回か変更されて、1970年頃まで生産を続けていました。 40年間も同じ型を作り続けていたわけで、現在の製品としては大変珍しいことです。 また、部品の寸法もまったく変らず、昔のものと、製造を中止するまでの品物では、 部品の寸法がまったく同じであったことです。 わずかの変換があったにせよ、部品がほとんど変っていないことは、 修理の上で大変ありがたいことです。 この19セイコーは盲人用の時計ベースになったり、 戦闘機(ゼロ戦)のコクピットに収まったり、 軍用として中三芯に改造されたりして、1945年(終戦)まで活躍していました。 戦争がたけなわになってきて、時計生産も思うようにできなくなり、 部品はすべて防空壕の中に格納されていましたが、終戦と同時に戦災を免れた部品を使って早速に組立て、 1945年12月には、国鉄用として戦後初の国産時計が世に出ました。 これはセイコーの桐生工場で生産されたものです。 その後、防空壕疎開部品で組立てた幻の懐中時計が発売されます。 |
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9月18日 セイコー初期の時計 その2
(No.97)
1924年に9型の腕時計が発売されました。 婦人向けの時計としてはやや大きめ、男性用としては小ぶりの型です。 パリス型といって、丸型のものだけでしたが、後にこれは二重ケースに収められ 軍隊用、いわゆるミリタリー時計として世にでてきました。 これは現在でも人気が高く、コンディションの良いものはアンティーク市場でも 結構高値で取引されています。 スターマーク、イカリマーク、サクラマークものは人気が高いです。 戦争が盛んになり、当時の敵国語としての英文字(ローマ字)が使えなくなり、 カタカナでセイコーと書いた文字盤ができたのも、この9型セイコーが最初です。 1925年に初めて紳士用時計として10型セイコーが発売されています。 翌年にはニューエンパイヤの名称で16型の懐中時計の新型が発売され、 すぐまた翌年には8型の婦人用が世にでてきました。 いずれもモリス型の定番品です。 中にスペシャルセイコーと銘打って、切天付つきのものもあり、ちょっとお値段が高かったようです。 昭和5年(1930)には、かの有名な19セイコーが産声をあげたのです。 9月14日 セイコー初期の時計 その1 (No.96) セイコーから、1899年に発売された懐中時計に、16型のエンパイヤがあります。 スイス製のモリスと言う名称の同じく16型の、懐中時計をモデルにして、 開発されたものでモリスにそっくりです。 16型のエンパイヤは、7石、10石、15石、とバラエティーシリーズで、 ケースも、ニッケル、クロームメッキ、シルバー、ゴールド、と各種あります。 文字板も、瀬戸、金属、といろいろです。 相当数製造されてますので、そんなに人気はありません。 まれに、15石で切天府付もありますが、これなどは珍品の類です。 1914年に、エンパイヤ別名ワールドが発売になりましたが、 これは調子が悪くて、時計屋仲間を困らせたものです。 現在でも、調子よく動いているものは、極く少ない様です。 1913年には、セイコーでは初めて腕時計を作りました。 ローレルの名称で、12型、7石のものです。 文字板は、瀬戸(七宝)で当時としては、おしゃれな時計でした。 大正の中期に入りますと、赤文字という文字板が流行して、 数字の12時のところだけが、赤くなっているものが発売されて、 大変な人気になりました。 大正ロマンの中で、育ったデザインです。 最近、復刻版で赤文字のデザインを、見ることがありますが、 当時の書体とどこか違うのでがっかりです。 算用数字の文字板でも、書体が時代と共に変化してます。 100年前の文字と現代の文字を比較してみるのも、面白いことと思います。 9月2日 時計の製造年代お調べします (No.95) 自分の生まれた年に発売された時計について、 問い合わせが多くの方から寄せられています。 大勢の方が関心をお持ちのようです。 既に使用中の時計に関しても、ある程度のことは分りますので、 時計名・キャリバー・又高級品に関しては、シリアルNo.・ケースの裏側に記してある、 あらゆる数字をお知らせください。 セイコーに関しては100%判明します。 他のメーカーでも資料が手元にあるものに限りお知らせできます。一度お試しください。 大量生産されている廉価品については難しいです。 記念品として製作されたものや、キャラクターものはまったく不可になります。 1990年以降は、こうした品物が市場に溢れて全く訳が分らなくなりました。 セイコー舎では、1897年に、タイムキーパーという名称で、 懐中時計を製造・発売しました。 現在でも完全に動いているものが沢山あります。 私もコレクションの中に1個ありまして、時々動かして昔の音を聞いています。 100年も昔の音を聞くことは万感の想いです。 1899年には、アメリカのウォルサムをモデルにして開発された、 エキセレント17型懐中時計が発売になり、恩賜の銀時計として有名です。 ケースの裏側に恩賜と文字が彫ってあります。 大変貴重品としてアンティーク市場では人気が高いです。 8月25日 正しい日本語使いましょう (No.94) 最近テレビや新聞紙上で、大きな話題になっていることがあります。 それは、正しい日本語が、姿を消してきたと云うことです。 流行語の変化とは一寸違う様です。もちろんその時代に合った、言葉遣いはありますが、 それとは一寸違っている様です。 そこでお話したいことは、家電製品やカメラと同じかと思いますが、 時計のサービスステーション(メーカー指定)に、修理を持ってこられるお客様の、 言葉遣いのことにふれないわけにはいきません。 何時・何処で・何が・どうしたか!!と云う情報の説明が、良くできない人が多いのです。 又、お客様は神様ですの観念からか、横柄な話し方をする方も多い様です。 自分のミスで壊した品でも、何故かこちらが、悪者になってしまいそうです。 修理代が高価なこともありますが、時計の場合、部分修理というものは、 以外に高くつくものです。 とかく部分修理と保証期間中故障には、トラブルがつきまといます。 購入してから、少なくても1年以上経ったものでしたら、 総合的に判断して修理技術者にまかせて頂きたいところです。 現在では、昔の様に、知らない客を騙すこともありませんし、 インチキ修理は姿を消しています。 しかし何回かお話しましたが、経験の豊かな技術者にまかせた方が安心です。 側開け3年(ケースを開ける作業のこと) ザラ 8年(輪列を組立てだけの作業のこと) 振付 一生(心臓部を組み立てて動く様にして、時間を調整する作業のこと) サービスを依頼する時に交わす会話では、偉ぶって高慢に話をする方は、 決して良い結果にはならないでしょうね。 8月17日 19セイコーの歴史 (No.93) セイコー19型の鉄道時計は、昭和5年(1930)に産声をあげましたが、 日支事変が始まり、第二次世界大戦(太平洋戦争)へと移っていく中で 軍需専用になってしまいました。 かつて、大空の勇姿と云われた零戦のコクピットに取り付けられていたことで有名です。戦災で打撃を受け一時生産が中止されていましたが、1945年終戦を迎えた後、 防空壕の中に収められて戦災を免れたパーツをいち早く組立てて市場に出荷しました。 しかしその頃は、国鉄優先で一般市場には出回っていませんでした。 今でも昭和21年、22年、23年頃の国鉄ものは、アンティーク市場では人気があります。 コレクションとして 一個くらいは手元におきたいところです。 ムーブメントは、物資不足の時代の製品ですから、材料もメッキ、模様付け、 研磨などは現在のものと比較したら、それはひどいものです。 よくぞ動いていてくれたなとおもうくらいです。 それからとても残念な事なのですがこの当時のことを、詳しく知っている人達 (大先輩)が一人も、この世にいらっしゃらないことです。 8月10日 あなたの生れた年に出来た時計は何?(No.92) 古い物に憧れる傾向は、最近特に顕著になってきましたね。時計の世界でも同じです。 古くから家にあった機械時計を改めて見直し、修理して甦らせ、 古きを偲ぶ人達が増えてきました。又、一方では、自分の生れた年代には、 どんな時計が世に出たかを知りたがっている人も多い様です。 私のホームページで、鉄道時計をご覧いただけると思いますが、 購入希望者は殆どと云って良いくらい、自分の生れ年に合わせて、 お求めになっていらっしゃいます。 そこで今回は、新しいサービスを展開します。 セイコー舎が、1946年以降 1986年まで生産した製品を、 年度別にお知らせ致します。メールでお尋ね下さい。 ご自分の生れた年に、どんな時計が生産・販売されたかを、すぐお知らせします。 一覧表はお送りできませんが、各年についてはお知らせできると思います。 自分の生れ年についてだけでも、把握していると、アンティーク時計を求めるとき 役に立つでしょう。1945年以前についても、お知らせできますのでお尋ね下さい。 1935年〜1945年までは、殆ど軍需で新製品は少ないです。 では又 8月3日 感で時を計る (No.91) ストップウオッチを裏にして、机の上に置いて下さい。 10秒を体で計って押してみましょう。 10秒でピタリと止められますか?これは、練習すると上手になります。 是非やってみて下さい。 自動車競技で、レーサーがスタート位置についてから、シグナルスタートの場合ですが、 赤から黄に変わり10秒後にグリーンに変って、スタートするのですが、 グリーンになったことを、眼で確認してからのスタートでは遅いのです。 黄色になった瞬間から、10秒を自分なりに頭の中でカウントして、 グリーンになった時は、ペナルティーにならないすれすれの瞬間に、 スタートしているのです。この1/100〜3/100秒位のタイムが、 決定的になって勝負がきまることがあります。 何十年も前のことになりますが、ピエロ・タルフィーと云う有名なレーサーが 我が国にきて、創世記の日本人レーサーの卵達を集めて講義をしました。 その時、スタートの話になりましたが、スタートの瞬間をカウントするのに、 イチ、ニ、サン、と云うように数えないで、十一(じゅういち)十二(じゅうに) 十三(じゅうさん)と数えて、二十(にじゅう)までにすると間のとり方が良くなり、 バランスがとれてぴったり10秒を計ることが、できるということでした。 皆さんもやってみては如何ですか。 7月27日 時計もメンテナンスしてください (No.90) 自動車を購入すると、車検は当然のことながら、6ヶ月点検、 12ヶ月点検と義務ずけられた整備があります。 機械物は、すべてそうですが、時計は生命に関わるトラブルになりませんので、 おろそかにしがちですが、時計も機械です。 6ヶ月とは云いませんが、3年か5年に一度のOHが必要です。 フリーマーケットで買い求めたとしても、先ず一度、OHをして、 そこから自分の歴史を作るべきです。 前にも一度お話したことがあると思いますが、時計に関わるインタービューを受けると、 必ずと云って聞かれるメンテナンスの話です。しつこい様ですが、何度でも云います。 機械時計は、3年〜5年に一度は、必ずOHをして下さい。 クオーツであっても、運針部機構は、歯車があってわずかの力で、 動いているわけですから、油がかたまると、動きが悪くなり、遅れの基になります。 電池取り替え3回したら、4回目にはOHも一緒にやりましょう。 修理代が高いからと云って、後のばしすると、ろくな事になりません。 一日に20回時計を見て、3年間で、21900回見たことになります。 3年目のOHに¥20,000かかったとしても、一回1円にもなりません。 一日に、何回となく世話になる時計ですから、大切に使うために、 早めのメンテナンスで、一生使えるものになるのです。 7月20日 現在の時計作り (No.89) 最近は100円ショップでもクオーツ時計が買える時代になってしまいました。 歯車はエンプラ(エンジニアリング・プラスティック)になり、 すべてロボットに依る組立になってしまいました。 一本のベルトコンベアーで何万個という時計ができる時代です。 3000円以下の時計は、使い捨て時計と思ってお使いください。 電池代よりも安い時計がたくさんあります。 機械式時計もベルトコンベアーで作る時代です。 歯車一つ一つをロボットが上手に掴んで正確に組立てて行く様は、 まさに芸術とも見える仕業です。 しかし最近は手作りの時計がもてはやされる様になってきました。 最も、時計以外でも手作業に依る作品は貴重品扱いされるようになりましたね。 履く品一つひとつにぬくもりが感じられたり、作った人の息吹が伝わってくるのです。 そんなことで皆さんの生活が安定してきたのでしょうか…。 今最も売れている時計は、手作りに依るもので、30万〜50万円位に人気が集中しているということです。 7月13日 精度の進歩 (No.88) 機械式時計は、クロノメータークラスの時計でも一日何秒かは誤差がでます。 ましてや、低価格では一日の差は20秒〜1分位までは止むを得ません。 1950年頃の時計は、新品でも出荷される時に −20秒〜+1分30秒なんていうのは当たり前のことがありました。 しかしクオーツの発明に依り、その誤差はだんだんと少なくなってきました。 クオーツも開発された当初は水晶発振子の形も大きくて、 そんなに安定していませんでしたから、結構大きな誤差がありました。 水晶発振子も、製造したばかりの時は振動が安定していませんから、 進み遅れが激しいですが、エージングが長期間なされて安定してきますと、 良く時間が合うようになってきます。ひところ発売されていたクオーツ時計には、 トリマーコンデンサー(今でも高級品にはついている)が組み込まれていて、 時間の緩急ができますが、低価格品は、振動子が安定したらそのまま組み込んで いますので緩急はできません。でもほとんどが月差で15秒〜20秒位の中に入っています。 |
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7月6日 ヴィンテージウオッチフェアーに参加します
(No.87) 今回はちょっと宣伝です。7月17日から23日まで東京渋谷のパルコ3で、 ヴィンテージウオッチフェアーが開催されます。 私のところも参加することになりました。 ホームページにお出でくださる大勢の方々には、 まだ数人程度の方にしかお目にかかっていませんが、 ぜひ、パルコフェアーにお出かけくださいませんか。 そして、私めにお声をかけてください。 ホームページで一方的にお目にかかることではなく、 グランドミーティングで楽しみたいと思います。 ホンマウオッチラボトリーとして出店していますので、遠くからでも眺めてください。 私のところでは、国産品のリーズナブルな商品をたくさん集めていますので、 衝動買いでも大きな出費になりません。 毎年2月に開催される銀座松坂屋のアンティークウオッチフェアーも十数年続いています。 毎回お越しくだるお客様もいらして、時計談議に花が咲いています。 ぜひお越しくださって、必ずお声をかけてください。お待ちいたしております。 何かいいことあるかも…? 6月29日 夜光つき時計-その2 (No.86) 輸入時計で有名な何種かの型番の文字盤から、規定以上の放射能がもれていると 指摘されて、騒ぎが大きくなったことがありました。 その1件については、現在世間で問題になっている食品添加物と同じで、 日本以外の外国では認められていながら、我が国の法律で規制されているので 違反になるということです。 時計の夜光塗料の話に戻りますが、これを法律に基づいて取り扱うことになりますと、 大変にお金がかかるのです。 ですから一般の時計店ではとても取り扱いはできません。 でも何も知らずに取り扱っているお店や技術者の方は、結構いらっしゃると思います。 知らぬが仏で通用しているようです。 重複しますが、メーカー系の大規模ディーラーかメーカーのサービスステーションで なければ法の規制の基、取り扱うことが不可能ということです。 東急ハンズなどで販売している、一般にいわれる夜光塗料は蓄光塗料で、 人体に害はありません。 光に当たると一定の時間発光し続ける性質の塗料です。 結構役に立ち、充分使用に耐える塗料ですので、私達はこの手のものを使用して、 文字盤や針の修復をしております。 自発光しないだけで、日常の使用には充分と思います。 6月22日 夜光つき時計-その1 (No.85) 今回は夜光つき時計について少しお話してみます。 値札に「夜光つき」と表示されているモデルには、 放射性物質と蓄光性物質を組み合わせた自発光塗料を使用したものがあります。 また、ルミブライトと表示してあるものについては、 放射能等の有害物質をまったく含んでおりません。 しかしこれはその物質の性質上、時間がたつと輝度が弱まり、 だんだんと暗くなっていくのです。 時計に夜光を使う場合には、放射能が人体に害を与えないように 放射線障害防止法という法律によって、 密閉状態で、使用総量も3.7ベクレル(100マイクロキューリー)以下と、 厳しく規制されています。 時計の完成品になりますと、ケースで密閉されているのでまったく問題はありません。 この夜光塗料の取り扱いは、国家試験をパスした有資格者(放射線取扱主任者)が いることが義務づけられております。 したがって、一般の時計店では取り扱うことができず、 すべてメーカーやディーラーのサービスステーションで取り扱うことになります。 でもこの法律ができるまでは、誰もそんな知識を持っている人がいなかったので、 どこの時計店でも平気で取り扱っていたことも事実ですし、 夜光の放射線で体調をくずした時計屋さんの話は聞いたことはありません。 でも、現在は取り扱うことができません。ああっ…。 6月15日 お客様の顔 (No.84) 大勢のお客様から修理品をお預かりしてますと、 お客様のお顔と時計の関わりをはっきりと覚えていられません。 お客様の方からいえば、私の顔はひとつですし、 修理に出された時計もご自分のものですからはっきりと覚えています。 しかし私の方はたくさんの時計と大勢のお客様の顔ですから、 ひとつひとつ覚えてはいません。しかし不思議なことがあります。 時計のフタを開けて中を見た瞬間に、お客様の顔が思い出されるのです。 お客様の顔が先でなく、時計が先なのです。 “初めに時計ありき”です。 フランスの小噺にこんなお話があります。 ある婦人科のお医者さんが患者さんを診察して、 覗いたとたんに“ああ、貴女でしたか”と言ったということです。 これこれ、これに似たことが時計にもあるのです。 時計を開けたとたんに、ああ、あなた(の時計)でしたね。 6月9日 自動車と時計の関わりについて2 (No.83) スタート前のミーティングでは、"本日の競技会はこの時計を基準にして計測を行います" といって、参加者全員がオフィシャルの腕時計を見せてもらい、 分あわせをしてから何秒進んでいるとか遅れているとかいってメモをしました。 当時のラリー競技はほとんど趣味の粋を脱していませんでしたから、 いわゆるお遊びラリーでした。 しかし時代が経過し車の性能が向上してゆくと、参加者もお遊びではつまらなくなって 本格的なラリー競技主催を考えるようになりました。(この話はまたあとで…) その頃、既にアフリカではサファリラリーが国際的に開催され、 日本からもアマチュアを加えて、メーカーチームも参加するようになりました。 国際ラリーに参加する三菱チームの車に取り付ける時計は、 いつも私のところでメンテナンスをして、完璧な状態で競技に臨んでいました。 計測用にはホイヤーのラリーマスターやナビタイマーを使用していました。 (当時はタグホイヤーではない)もう40年も前のことになります。 三菱チームで頑張っている篠塚健二郎さんも、 そのころから出場しつづけている有名なドライバーです 6月1日 自動車と時計の関わりについて (No.82) 自動車競技の話が出てきましたので、もう少し自動車と時計の関わりについて 気がつくままにお話してみようと思います。 日本でも今でこそツーリングカーレースやF3000、はたまたF1レース、 アメリカのカートレースなどが開催されることが当たり前のようになっていますが、 1950年代はまだまだそんな時代ではありませんでした。 マイカーを持つこと、それ自体が珍しく大変な頃でした。 でも、ほとんどが輸入車か中古車でしたが、 愛好家が集まってささやかなラリー競技を楽しんでいました。 ラリー競技には正確な時計が必要になってきます。 我が国では道交法があり、無制限にスピードを出すことができませんので、 「定速遵法(ていそくじゅんぽう)競技」といって、 いわゆるラリー競技の基となる走法によって勝負を決めるわけです。 第一チェックポイント通過後、時速(アベレージ)40Kmで走行、との指示がでると 一分間で666m走行しなければいけません。 これをずーっと守りながら走行するわけです。 そこで正確な時計とオドメーターが必要になってくるわけです。 その頃はラリー専門の時計なんぞはありませんでしたから、 懐中時計や腕時計を頼りにして走ったものです。 オフィシャル(競技運営委員)と参加者の時計がぴったり合っていませんと トラブルの基になるものですから、 参加者の時計をプラスチックやガラスの容器に収めて 封印して競技をしたこともありました。 つづく。 5月25日 方向を指すときは (No.81) 自動車競技の中にラリーがあります。 私も若い頃、国内ですがJAF公認のラリーを主催したり、参加したりしました。 ラリーはドライバーの腕もさることながら、 ナビゲーター(助手)の手腕も優れていなければいけません。 地図を見てドライバーに進路を指示するわけですが、 この指示には時計方式が使われています。 左折は9時、右折は3時、Y字路左は11時、右は1時。 Uターンの場合は左Uターンが7時で右Uターンが5時ということになります。 時計の文字盤の感覚で方向を指示することは、戦争でも使われています。 飛行機のパイロットの間で11時方向に敵機、といった会話をするわけで、 間違いなく正確な方向を確認できるのです。 先日、健康診断の時、目の検査があり、Cマークで右だ、左だ、という代わりに、 私は9時、3時、6時と答えました。 初めのうち担当の医者は面食らっていましたが、 すぐにわかってもらえて「これは良い方法だ」と喜んでました。 これからも視力検査には、時計文字盤方式が普及してくるかもしれませんね。 電話で他人に道を教える時には、正確に伝えられて便利です。 皆さんもぜひこの方法を身につけてください。 5月18日 電波時計−その3 (No.80) 電波時計のしくみといいますのは、NTTの電話117で時報を聞くこととはちょっと違います。 117で時報を聞く時は、秒毎のピッピッピッという音を聞いてますが、 電波時計は何時何分何秒という信号を受信するわけです。 ですから、電波時計本体には時間合わせをする竜頭や釦は不要になります。 バッテリーをセットして、リセット釦を押せば良いことになります。 時計に“でんち”をセットして、リセット釦を押して電波を受信すると、 グルグルと針が回り出し、デジタル時計ですと瞬時にして現在時刻を表示します。 不思議なくらいに正確に現在時間が表示されるので、感心したり驚いたりです。 一家に一台の電波時計を備えることは、大変良いことですので、ぜひおすすめします。 価格も数千円ですむことですので、大きい出費になりません。 掛時計、置時計、腕時計と、色々発売されています。 これからお求めになるのでしたら、ぜひ電波時計になさってください。 受信がうまくゆかないところでも、きちんと受信できるような装置もありますので安心です。 5月11日 電波時計−その2 (No.79) この電波時計とは、どんな仕組みになっているか説明しましょう。 日本列島には二ヶ所、電波発信所があります。 一つは福島県大鷹鳥谷山(おおたかどややま)で、 ここでは40KHzの電波を常時発信しています。 もう一ヶ所は九州の佐賀県羽金山(はがねやま)からで、 ここでは60KHzの電波を送信しています。 Aが40KHz、Bが60KHz対応で、クロックの裏面のスイッチでどちらかを選ぶことができます。 ただし、地域の地形起伏の状態や建物、天候、時間帯、設置場所などにより、 うまく受信できないこともあります。 また、ビル、マンションの中や、高圧線の近くや、 電子機器の近くも不可の場合があります。 つづく。 5月5日 電波時計−その1 (No.78) 60年代後半からクオーツ時計が開発されて市場に出まわりました。 当時はクオーツ時計はこんなにも時間がよく合うものだと感心したり、 驚いたりしたのもでした。 それでも物足りなく感じる人達がいたため、ツインクオーツ、UFA、 スーペリア等が発売されました。 年差5秒、あるいは3秒とうたわれて大変人気がありましたが、 最近はそれでも満足しなくなってしまいました。 そこで出現したのが電波コントロール時計です。 クロックもリストウオッチもあります。 NTTの117で時報を聞くことができますが、電波コントロール時計は 何時何分と云う信号が送られてくるのを受けて動くので、 普通の時計に備わっている時間合わせのためのノブや竜頭がないのが特徴です。 時計に電池をセットしてリセット釦を押し、電波を受信しますと、 自動的に現在時間を示すのです。不思議なくらいに利口モノです。 その正確なことにおいては絶対で、誤差は10万年に1秒と云われています。 次回につづく。 4月27日 右手のおしゃれ (No.77) 1960年ごろ右手専用の時計が売り出されました。 結果的にはあまり人気がなく、数は売れませんでした。 しかし、現在であったら爆発的に売れるのではないかと思います。 何年か前に、右手に時計を着けている人を見かける度に話かけてみました。 理由を聞いたのです。殆どの人はサウスポーの方でしたが、 他人とは違うことをしたいからと云って右手に着けている人も何人かいました。 また、右手につけているとさりげなく時計を見ることができて、 時間を気にしながら人と会ったり、仕事をしている時は、 右手の方がずっと効率的だと云っていました。 もうすでにお亡くなりになりましたが、東海大学の教授で江間先生という方が いらっしゃいました。江間先生はサウスポーではありませんが、右腕派でした。 教室の学生で論文が通った生徒には、必ず右腕用の時計をプレゼントしていました。 いつも特注品で、私が作っていました。 カレンダーなしの時計ですから、文字盤を180°ひっくり返しに取り付ければ 出来上がりです。竜頭が9時のところにあれば良いわけです。 マイコレクションの中に一ヶ位は欲しいものですね |
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4月21日 オリジナル時計はいかがですか?
(No.76) 時計の機械部分のみのことを、ムーブメントと云っています。 最近はこのムーブメントを簡単に入手出来るようになりました。 その為かどうかわかりませんが、個人でも、 自分たった一人の時計を自分の手で作る人が増えて来ました。 一寸器用な人でしたら、シルバーやゴールドを材料にして、ケースを作り、 文字板を作りして楽しんでいます。 またそれとは別に、各メーカーでは、たった一個しかないオリジナルウオッチも 作ってくれます。ペットの写真や、可愛らしい孫の写真を撮ってメーカーに送れば、 一週間くらいで、その写真が文字板になった腕時計や懐中時計を作ってくれます。 小学校の入学記念、結婚記念、と何かの想い出の記念にと、 格安でできる記念品として人気があるようです。 メーカーの記録に依りますと、時計の受付はペットと孫が圧倒的に多いそうです。 あと、女房に内緒の彼女の○○とのことです。面白いですね。 そのうち主人に内緒というのも出てきそうですね。 私は午年生れですので、かつて棟方志功さんに彫って頂いた、 午の繪を文字盤にしたものを作りました。 その他、所属している団体のマークでも作ってみましたが、楽しいものです。 皆さんも何か作ってみては如何ですか? 世界にたった一個の時計を作ってみませんか。 くわしい事を知りたいよ、とおっしゃるお方は、 メールでseiji@hommawatch.com までお尋ね下さい。 資料をお送りして差し上げます。 4月14日 ネズミ捕り(後半) (No.75) その当時は時間計も計量法の適応を受けていましたから、 計量検の検査を受けていなければいけなかったのですが、 この時の取り締まりに使用していたストップウオッチは廉価品で、 検査が通らないものでした。 その点を指摘し、さらに押し誤差について説明し、 ついには検察庁まで話を持って行き、弁護士を同行して大騒ぎをしました。 結果は私達の勝ちで、罰金を払わず、ポイントも付かず、 赤紙の切符は今でも記念に持っています。 数ヵ月後、同じ場所をたまたま通りましたら、今度は最新式の光電管を使用して、 赤外線センサーによる電子計測器でネズミ捕りをしていました。 私達が大騒ぎしたことで、警察もあわてたことと思います。 この一件について良く考えてみますと、私達がモータースポーツの 計時一級ライセンスのホールダーであることと、 時計技術屋であればこそのなせる業であったと思います。 4月7日 ネズミ捕り(前半) (No.74) 全国交通安全運動が始まりましたね。お年寄りと子供の交通事故が多いということで、特に注意するように呼びかけをしています。 少し前のことですが、子供の乗った自転車がお年寄りとぶつかって、二人ともケガをしました。これはどうしたものでしょうね。 最近はスピード違反の取り締まり、いわゆるネズミ捕りが少なくなりましたが、ひと昔前にこんなことがありました。 私の会社の社員がひっかかったのですが、目の前を通り過ぎる車を見て警察官が小さな旗を振るのですが、 その旗を見て30メートル先にいるもう一人の警察官が、手元のストップウオッチを押すのです。 その後その車が自分の前を通過する時、ストップウオッチを押して止める。 早い車には手を上げて少し先で停車させて、免許証、ということになっていたのです。 しかしその時間がわずか3.6秒より早いか遅いかで、違反かそうでないかを決めていたのです。 しかも使用していたストップウオッチがロスコフと云って、 ピンレバー式の極廉価品(当時の価格で4千円)でした。 ストップウオッチには押し誤差というものがあり、人間の目で見て、脳まで神経が働き、 指先が動き、竜頭釦を押して、針が動き出すまでの時間が扱う人によって差があります。 0.1〜0.4秒までの差があるといわれています。 ですから、最初の警察官が0.1秒早く押して、後の警察官が0.4秒遅く押したとしますと1/2秒の差が出ます。 わずか30メートルの区間ですから、時速で5Kmも差が出ます。 つづく。 3月30日 戦争の頃の想い出 (No.73) 私が中学生の頃、丁度第二次世界大戦(そのころは、大東亜戦争と云っていた)たけなわでした。 勉強なんかしなくて良いから、軍需工場に行って兵器を作れと云われて、 茨城県の勝田(水戸の一つ北側の町、現在は市)にはる日立兵器工場に通っていました。 17才か18才の頃です。 背丈もあるフライス盤や旋盤を動かして、機関銃の部品を作る作業です。 現在では考えられないことですが、当時としては学徒動員といって当たり前の事でした。 この頃の想い出話は語り尽くせない位、山の様にありますが、今回はそんなことではなく、 この学徒動員で機関銃作りをしたことが、現在の私の時計の仕事に大変役に立っているというお話です。 ヤゲン台、トースカン、スコヤはもちろん、ノギス、マイクロメーター、デバイダーの使い方は その時既に仕込まれていました。 ヤスリかけの基本は、ピッピッピッという笛の合図の元に、とことんまで教え込まれました。 腰を使ってヤスリかけをする仕業です。 ボール盤も旋盤も超大型ですが、現在時計用の小さな機械を使っていますが基本は変わりません。 アメリカ軍の艦砲射撃で滅茶苦茶に破壊された工場を後にする時、小さな工具を沢山貰って来ました。 今でもその時のドリルやスコヤを当時を想い出しながら大切に使っています。 人間何が幸いするか解りませんね。 3月23日 アンティークウォッチ好きな人 (No.72) 2月に銀座松坂屋で世界腕時計博が開催されて、多くのお客様がお見えになり大にぎわいでした。 アンティーク時計のフェアーでしたから、当然時代の過ぎた品物が沢山展示されていました。 今回の特徴としては、特に国産品、セイコーの1950〜60年にかけた品に人気が集中していた様です。 会場に見えた方々は、研究熱心な方が多く、本当に良くしっていらっしゃいました。 アンティークウオッチの博士みたいな人達ばかりがお客様でした。 毎回顔を拝見する方は、殆ど初日にお見えになりました。 又会期中、毎日必ず見える方もいらして、びっくりしました。 そして何故か、その都度何かを買い求めていらしたのには、二度びっくりです。 お客様とお話をしますと、アンティークウォッチを収集する方には、何か一つのターゲットがある様です。 時代を追いつつ集める、キャリバーをきめて集める、ペットネームで追ってゆく。 又は、19セイコーの様に、時代がはっきりしているものは、自分の生年月日(生れ年)に生産、 又は販売されたものを求める、と云った按配です。 女性の方の中には、昭和初期の品に興味をもたれる方が大変多い様に見うけらました。 或いはおじいちゃんおばあちゃんが使っていたものに似ているものを探していると云う問い合わせも 何回か受けました。 少し景気が上向きになってきたのでしょうか、今回のフェアーは今までで最高の売上げであったとのことです。 4月は11日〜14日まで五反田のTOCで丸井春のビッグバザールが開催されて、 アンティークウォッチは第二会場でご覧になれます。 招待状御希望の方はメールでお申し込み下さい。お送りします。 3月16日 時計が汚れていませんか? (No.71) このお話も何回か申し上げてますが、たとえ話として、ギョーザ食べたすぐ後で歯医者に行った友人が、 「すみませんが今日はお帰り下さって、又出直していただけませんか」 と医者に言われて、何でそう言われたか解らないと云ってました。 三ヶ月風呂に入らないで健康診断に行けば、診療担当のお医者さんも不愉快に感じるでしょうね。 なんでこんな話になったかといえば、先日修理にお預かりした時計があまりにも汚かったからなのです。 自分が毎日使っているものですから、もう少し手入れをして欲しいと思います。 バネ棒とケースの間には、真っ黒に垢が溜まっていましたし、 三つ折れの部分は、耳掻きで3〜4つ位の垢の塊が溜まってました。 洗浄しましたら、1回で洗浄液の交換になりました。 皆さん、もう一度毎日使っている時計をあらためて手にとって良く見てください。 立派なスーツを着たりブラウスを纏っていても、腕に着いている時計がこれではがっかりです。 おしゃれのキーポイントは、腕に着けている時計からでーす。 3月9日 時計技術者の育成 (No.70) 時計の技術を身に付けたいと考えている若い人が多くなってきましたね。 メールで相談を受けたり、直接尋ねて来られる人もいたりして、時計技術のマーケットがここにきて、 にわかに忙しくなってきました。 ジャパンウォッチラボの方にも、尋ねてくる人やメールが入ってます。 このページでも何度かお話しているように、大資本か余程利益が上がっている会社以外では、 仕事を教えながらお給料を支払うということが難しい世の中になっています。 時計技術者1人を教えるのに、1年間で約200万円の持ち出しになると考えてください。 そして給料となると大変な負担となります。労働基準法が盾になってどうにもなりません。 その為に学校が流行ってくるわけです。 ただし、時計技術には基本となることがあります。 技術、理論、営業です。その他パソコン、外国語も入ってきます。 技術の中では、側開け3年(ケースを開ける作業)、 ザラ組8年(ムーブメントから天府とアンクルを除いた部分を組立てる作業)、 振付け一生(天府を組付けして時間を合わせる作業)と言われているように、 私達でもまだまだ修行が足りないと思っている程です。 ですから、本当の一人前になるには何十年とかかりますが、現在は技術者不足から、 3年位の経験で作業に従事しているところが多いようです。 しかし、いづこサービスステーションでも技術向上には頭を痛めています。 3月2日 こだわり (No.69) ”こだわり”を辞書で引くと、「つまらないことに心をとらわれる」となっています。 人によってはつまらないことも、他人にとってはつまることになるでしょうね。 時計の修理では、その”こだわり”で沢山のトラブルが起きています。 カレンダーの日付が12時ジャストに変わらない。 風防にキズがある、それも良く見ないと全く解らないような小さなキズ。 文字板で然り、ケースで然りです。 この外装関係の小キズは、腕に一週間も着けていますと、何かしらのキズがつくものですが、 それが気になるというのです。 又クロノグラフの針が少しずれている。(0.01mm位)復針がうまく行かない(故障ではない事有り)。 針やベルト、竜頭がオリジナルでない。 アンティークウォッチでありながら、当時販売されていた時と同じオリジナルの姿にして欲しい。 等々、色々いろいろですが、古いものにはそれなりの歴史があります。 或るお客様の中には、古いキズはそのままにして残して欲しい。 研磨しないで下さいとおっしゃる方もいらっしゃいます。 経年劣化という言葉が使われていますが、正しくアンティーク時計には 愛すべき経年劣化があるということです。 古いキズや変色は、その時計の持つ物語としていたわって使いましょう。 |
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2月23日 世界の腕時計博を終えて
(No.68) 松坂屋で開催いたしました世界の腕時計博には、大勢のお客様がお見え下さいました。 お陰様で大盛況で一週間を終えました。 アンティークウォッチの販売と修理では、お客様とのトラブルを避けるため、 次のようなコピーをお渡ししています
先日、40年も昔の時計を修理してお送りした方から、腕につけてシャワーを浴びたら 水が入ったとのクレームがつきました。 私としましても、初めからシャワーを浴びると伺っていましたら、修理はお預かりしていません。 こんなことがあっても良いのでしょうか? 世の中にはいろいろな方がいらっしゃるようで、大変勉強になりました。 アンティーク時計の修理には、様々な困難がつきまとうようですね!! 2月9日 クロノグラフは手入れを大切に (No.67) ロレックスのデイトナ、ブライトリング、オメガスピードマスター、 ジン、チュチマ、タグホイヤー、ゼニスエルプリメーロ、などなど クロノグラフが人気を集めています。 クロノグラフを愛用している人は、大勢いると思いますが、 皆さんどんな使い方をしているのでしょうか? 一寸したステータスとして、腕に着けている人が多いと思います。 それはそれで良いことにしましょう。 しかし、日常の手入れが、いまいちの人が多いのです。 修理に預かるクロノグラフの殆どが、全くクロノグラフとして、 機能を働かせていなかったことが、よく解る惨状です。 長期間クロノグラフを、使用していなかったことが、良く解るのです。 プッシュ釦の周りが、垢と油でギトギトになって、 青錆でひどくなっているものが多いです。 釦も押し具合が悪く、機能していません。 これでは、クロノグラフを持っている意義が全くありません。 クロノグラフをお使いの皆さん、もう少し可愛がって、手入れをしましょう。 プッシュ釦の基の部分は、爪楊枝の先でこまめに掃除して下さい。 ETA社の7750というキャリバーのクロノグラフがありますが、 現在、一番に市場を圧巻しているキャリバーです。 有名メーカーのクロノグラフに、多少内容を替えて組み込まれています。 同じキャリバーでも、チューニングされているものや、研磨や仕上げに違いをもたせて、 各種各様で、市場にでている様です。 定番品ですから、部品も豊富にありますし、安定してますので 不安なく愛用できるキャリバーです。 振ると、一寸ザラザラとした音が聞こえるのが特徴です。 2月2日 キャリバー (No.66) ムーブメントが同じキャリバーでも、外観いわゆる型番(リファレンスナンバー) 違いというのが沢山あるお話はしましたね。 自動車に話を置き換えてみますと、同じエンジンを搭載していても、 名称が違う車が沢山あるのと同じ事です。 マニュアルミッション、オートマと夫々違っていても同じエンジンですから、 時計でいえば自動巻きと手巻きの違いといったところでしょう。 時計では、カレンダーがついたり、パワーリザーブが表示されたりして 型番が変化していきますが、キャリバーでは末端のNo.が変わるだけで基本は同じです。 今でこそキャリバーなどというハイカラな呼称がありますが、我が国では1960年頃になって はじめてキャリバーがつけられたムーブメントが開発されましたが、 それまではすべてペットネームで呼ばれていました。 セイコータイムキーパー、エンパイヤ、マーシー、ローレル、19セイコー、 ライト、ミニスター、ゼルマ、エキセレント、新10型、8型、 等すべて名称で整理されていました。 でも、時計王国スイスでは早くからキャリバー制がとられていました。 さすがだと思います。 当然のことですが、部品一つ一つにもキャリバーと部品No.がついていますので、 部品探しにも手間が省けます。 現在では最初の3桁位が部品No.で、その後にキャリバーがついて部品が決まっていくようです。 時計メーカーに依ってNoのつけ方が多少違いますが、いずれ国際規格でゼンマイは○○番、 天真は○○番と世界共通のNoにすると良いのではないかと思います。 1月26日 時計を購入するときは (No.65) 新しい時計を購入する時、現物を手にとって見る場合はそれでよいのですが、 カタログで購入する時の注意することについてお話してみます。 カタログの写真には、原寸大と実物と多少大きさが違うものがあります。 これは説明文を良く読めば解ることです。 又、型番(RFNo)によって外観が変わりますが、同シリーズでは中に組み込んである ムーブメントのキャリバーが何であるかを知りたいものです。 価格に大差があって同キャリバーであれば、その差は何でなのかも知りたい事の一つです。 キャリバーに惚れているのであれば、そのキャリバーが組み込んである型番で、 リーズナブルなものを選べば良いわけです。 クロノグラフを例にしてお話してみます。 レマニア社製のキャリバー1873がありますが、オメガ、ブライトリング等、他にも有名メーカー社製の 高価なものが沢山市場に出ていますが、グレイスファブリオのクロノグラフは同キャリバーで 価格も手が届く範囲です。デザインも大変良いと思いますし、私も愛用しています。 あ、そうそう、俳優の三国連太郎さんも私と同じ型番をお持ちでいらっしゃいますよ!! このキャリバーは、アポロが月面着陸した時の宇宙飛行士が腕に着けていた、 オメガスピードマスターと同シリーズのキャリバーです。 手巻き式のクロノグラフでは、最も安定した信頼感のあるキャリバーであるといえます。 自分の時計のリファレンスナンバー、キャリバー、シリアルナンバー(これは高級品には刻印してある)は、 手元に控えておくと何かのときに便利です。 1月19日 ベルトコンベアー作業の短所 (No.64) ベルトコンベアーの作業に従事していますと、常時ベルトが動いていて作業が続いていますから、 午前10時頃と午後3時ごろに10分位休みがあるだけで、途中にトイレに行くこともできません。 何でもできる人が1人ベルトの周りを徘徊していて、何か用事があると手を上げて変わってもらいます。 お腹の具合が悪い時などは本当に困ります。 一つの方法として、自分の作業が終わっていても後に送らず、手元に残しておいて少しためておくわけです。 一寸席を立つ時は隣の人に頼んで、ためておいた完成品を一つずつベルトの上に 置いてもらうということをするわけです。 ベルトの作業は、完全に人間ロボットとなってしまいますので、技術の向上にはならず、 他の仕事も覚えられず何の役にも立たない人間に育ってしまいます。 一人がする作業は単純なことですからすぐ覚えられますが、総体的な仕事は何一つ覚えられません。 現在時計のサービスステーションでも、大規模なところではこれに近い作業をしています。 ですから、有名ディーラーのサービス部に就職しても、部分作業しか与えられませんと、 つぶしが全くきかない人間になってしまいます。 有名メーカーのサービス部では、技術の流出を防ぐ意味からこうしているところが多いようです。 すべての技術をマスターしたいのであれば、小さなところで小回りのきく作業をさせてもらったほうが 将来には良さそうです。 1月12日 謹賀新年 (No.63) 2002年、平成14年も、もう松が明けて12日になりました。 昨年はいろいろ事件が起きて、真の平和について世界中の人があらためて考え直した年になりましたね。 遅くなりましたが、皆さんおめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願い致します。 昨年は、オメガ社から、コーアクシャル脱進機の量産化が発表されたり、 スウォッチグループの結成があったりして、業界の変化に勉強が追いつかない一年でした。 セイコーも、大手町工場や亀戸工場も無くなって、淋しくなりました。 セイコー株式会社にも内部で編成替えが行われて、頭の中でまだ整理がつかない状態です。 昔の面影いまいずことなってしまいました。 私がセイコー舎亀戸工場組立部で、ケーシングや組立作業に従事してました頃は、 我が国が高度に経済成長を遂げ始めたころでしたから、 技術も導入機器も日進月歩で、昨日よりも今日、今日よりも明日と日増しに成長していく様が 手にとるようにわかる毎日でした。 1955年頃まではムーブメントの組立も一人一人がコツコツと手作業でやった時代でしたが、 アメリカのタイメックス社の量産技術が導入されてからはベルトコンベアー組立てに 変わっていったのです。 ベルトコンベアーで組立作業をするときは、何人で何秒間の流れにするかということが 重要な問題になります。 一人一人の作業時間を20秒にするか25秒にするかでネジを何本締められるかが変わります。 最初の頃は作業分解を研究するところから始まったようです。 自動車工場などでは、ベルトが動いているのが解らない位ゆっくりですが、 時計工場では回転寿司ほど早くはありませんが動いているのが良くわかります。 きょうはこの辺りで・・・ |
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12月22日 スイスの時計工場(No.62) 数年前にスイスのブランパン社を訪れ、工場を見学したときの事でした。 グループの一人がブランパンを持っていたので、それを社長に見せたところすぐに裏蓋を開けて、 これは何年何月に誰それが作ったものであると教えてくれました。 そして製作者のサインが入った為書の文書を手に入れることが出来たのです。 日本の時計工場では考えられないようなことを、すぐその場でやってくれたのは 本当にびっくりしたり関心したりしたものです。 同じ日に、オーデマピゲの工場も見学しました。 組立工場で一寸驚いたことがありました。 ムーブメントの組立作業でネジを締めるとき、ドライバーの先にネジがくっついて、 ピンセットを使わずに作業をしてました。ネジが並べられている台の上に、 ドライバーを当てて、ネジ頭に先を突っ込むと、ピタッとネジがドライバーについてくるのです。 ネジのマイナス溝とドライバーの先端が合わせてあるのです。 ピンセットなしの作業で、ネジ締めをしているわけですから、作業効率が良いわけです。 さすが世界でもトップクラスの時計を作るところならではの作業には本当にビックリしました。 メリークリスマス&ハッピーニューイヤー お正月はしばらくお休みします。新春は1月12日にお逢いしましょう。 12月8日 19セイコー、まぼろしの刻印8番を探せ (No.61) 1960年代には姿を消したと思われますが、セイコーの時計にはそれを組立てた人(個人)が 誰であったか、いわゆる誰が組立てたかが解るように刻印を打ったのです。 天輪が振れている間から見える辺りに5,8,2,3,等の数字が打刻されています。 下請工場の場合もありますが、本社の組立工場で組上げたものには個人の刻印が打たれました。 最近もムーブメントですと、キャリバーが打刻してある場所です。 数年前に他界しましたが、19セイコーの組立てをしていた方で、 角谷さんという方がいらっしゃいました。 1922年生まれですから、現在存命でしたら80歳です。 角谷さんの刻印は8番です。19セイコーの8番は、角谷名人が組んだものです。 これも1950年代で終わってます。 1955年ごろになりますと、下請工場での量産に入ってしまいます。 本社工場で個人が組上げるということは、ロットで完成した部品のテストを兼ねて組むわけです。 テスト組上げがOKであれば、その部品は下請けの組立工場にどっと出荷されるわけです。 アンティーク時計の19セイコーの中から、刻印8番を見つけましょう。 名人がコツコツと組上げたものですが、まずは山の中の蛤といったところです。 12月1日 時計生産の移り変わり (No.60) 1945年12月ごろから戦後の時計生産が再開されたわけですが、 その頃は腕時計ではなく置時計でした。 コロナ、コメット、ロビンの名称で、目覚まし時計を作っていました。 又、掛時計は当時ボンボン時計といわれていましたが、それも同時に生産していました。 工場は東京の江東区にあり、大手町工場といっていました。 クロック専門の工場です。 戦争のダメージが少なかったので、復興が早かったわけです。 でも当時としては最新式の工作機械でしたが、 材料の粗悪さで決して良質のものは出来ていなかったようです。 1946年下半期ごろからやっと上昇気運になり、目覚し時計の外装工場にベルトコンベアーを 取り入れたとの記録があります。 50年以上も前にベルトコンベアーシステムを取り入れて時計の生産をしていたということは、 画期的なことであったと思います。 その後、ボンボン時計の生産にもベルトコンベアーを取り入れて、 かなりの成果を上げたとのことです。 その時の記録によりますと、ベルトの長さは330mにも及んだとのことでした。 1955年になると、完成品の包装、梱包、搬送までが流れ作業でできるようになり、 運送トラックまで自動で積み込まれるようになったそうです。 次回は”19セイコー、まぼろしの刻印8番を探せ”のタイトルで少しお話します。 (セイコー戦後史による) 11月24日 19セイコー (No.59) 戦争(第二次世界大戦)が1945年に終わりましたが、戦災でダメージを受けたセイコー舎は、 まもなく復興したわけです。 戦争中、桐生、仙台、諏訪に疎開していた工場が夫々にストックしていた部品を組立てて、 市場に時計を出すことになりました。 それまでは軍需品生産をしていたわけですから、一般の市場には出荷されていませんでした。 ですから、全くゼロからの出発になったわけです。 桐生工場の残り部品をなんとか組立てて、1945年11月、12月に19セイコーが1620ヶだけ生産されました。 戦後初めて生産されたこの時計は、アンクルの爪石がスティールであったり、 ヒゲゼンマイの材質が無く、現在のものとは比べ物にならない位粗悪品でしたが、 当時を偲ぶものとしては、現在でも貴重品として珍重されています。 その後、国鉄(現JR)に納入されて、鉄道時計として活躍したわけです。 鉄道時計の19セイコーはその後改良が加えられて、60年代にかけてめまぐるしい発展を遂げてゆきます。 後に腕時計のムーブメントを組入れた中三針に変わり、その後クォーツに変更されたわけです。 以前にも一寸お話しましたが、スモールセコンドの19セイコーは、セイコーが世界に語る名機と言えるのです。 耐久性もさることながら、手巻き時計の一番良いところを全部備えていると言えましょう。 しっかり感や、持った時の重量感、ゼンマイを巻いたときの手にかかる感触の良さ、 リズミカルな刻音も大きく、機械時計の魅力を十分に持った時計、それは19セイコーです。 次回から、セイコーの戦後復興について少しお話してみるつもりです。(セイコー戦後史に依る) 11月17日 時計に水は大敵 (No.58) ついこの間まで、暑い日が続いていましたが、何時の間にかひと雨毎に涼しくなり、 この頃は寒さまで感じるようになりましたね。 夏の間ずっとお世話になった時計の手入れは済んでいますか。 汗や垢がついたまま、まだ使っていてはいけません。 腕から外して良く見てみましょう。 バンドの取付部のところや裏側の蓋の回りに、黒く垢がついています。 これをきれいに拭き取っておきませんと、錆の原因になります。 ステンレスだから、金ムクだからといって安心してはいけません。 ましてや、金張りやロジューム張りのケースですと損傷が早まります。 特に雨にあたった場合は、乾いたからいいやというのはいけません。 乾いた布で拭き取り、乾燥するのを確かめてから腕に着けるようにしたいものです。 若し間違って水につけたり風呂に入ってしまったりした場合、防水時計は大丈夫ですが、 そうでないものは速やかに冷凍庫に入れて凍らせて、 反応を遅らせてから専門店に持っていくと良いでしょう。 真水で2時間、海水で30分が死か生かの別れ際になります。 防水時計は、メーカー出荷されて1年の保証はありますが、保証が切れてからは、 若し潜りなどに使用する場合は、然るべきサービスを受けておかなければ、 耐水保証は受けられませんので良く覚えておきましょう。 クォーツの場合は、電池交換をした時に防水検査を同時に行っておくことをおすすめします。 その為には、専門店でサービスを受けましょう。 11月10日 水道工事屋さんから学んだこと (No.57) 一寸前の事ですが、私の家の近くで大きな水道工事が行われていました。 道を掘り起こしている人と、水道のパイプを設置する作業に分かれて仕事をしていました。 水道の工事というのは大変難しく、又結構手抜き仕事があるものですが、 私の見る限り、この作業は実に見事なものでした。 配管の状態や工具の使い方には惚れ惚れするものがあり、 長い時間その作業を見ていました。 そして工事の責任者に話を聞いて、担当技術者の会社と氏名を聞き出すことに成功したのです。 そして、後日談になりますが、その人に電話をかけて、私の家の水道工事を頼んだのです。 5年前に家を建て直す時の話です。 今まで水漏れトラブルで散々悩みましたが、この工事屋さんに頼んでからは全くなくなりました。 当り前の様ですが、本当に安心したのです。 そして家を建てた工務店の人も、その後ずっと同じ水道工事屋さんに頼むようになり、 もう6年経ちました。 技術屋の立場から見た私の目には、間違いがなかったように思います。 時計の技術でも同じ事が言えると思いますが、 自分の仕事の結果を他人に認めてもらうようになるのは、 大変難しい事だと思いますが、仕事上の事でこの水道工事屋さんから学ぶことは沢山ありました。 今では、家同士の付合いにまで発展しております。有難い事と思います。 11月3日 時計にも個性があります (No.56) 何十年も前のことですが、朝日新聞の連載で”人間失格”という小説がありました。 その中の男女の話のくだりで、”完璧な人間がいるとしたら、それは化け物だよ” という会話が交わされていることを想い出しました。 それ以来、私も化け物でないことに自信を持つようになったのですが、 時計の修理では特に自身をもてます。 それは、どんなに壊れたものでもすべて直せるということではないからです。 又、修理の過程で壊すこともあります。 修理したつもりで、更に具合が悪くなる事だってあるのです。 それだけに、技術が伴う作業は、奥が深く終身修行であると思っています。 毎日修理の机に向かって、修理品を眺めるたびに新しい発見があり、 1000ヶ1000種類の壊れ方をしています。 人間の顔と同じで、似ている人はいますが、同じ顔の人は二人といないことと全く同じです。 ベルトコンベアーで製造されたムーブメントでも、夫々個性があると思います。 クォーツでもそうですから、機械式時計に至っては尚更のことでしょう。 コチコチという音、ゼンマイを巻く時の感触、時間合わせの時に針をまわす力の入れ方、 皆違いますね。自分の持っている時計でしたら、いくつあっても、暗闇で触ってもすぐ解るはずです。 では又。 10月27日 時計のこだわりかた (No.55) 一度この欄でお話したことがあるかと思いますが、 最近時計マニアの中にこだわりを持つ人が大変多くなっています。 これは決して悪いことではないのですが、なんでこんなことにまで? と思うところにこだわりを持っている人がいます。 虫メガネで見なければ解らないようなケース回りの細かなキズ、 リューズや針がオリジナルではないのではないか? なんとかしてオリジナルに替えたい。 これは一部の例ですが、何十年も昔の型式で特に外装(ケース、文字板、針、リューズ)に関しては、 オリジナルを探し出すことは、大変に難しいと思います。 古いものは古いものとして、それなりに可愛がって使いましょう。 セコンドハンドの時計には、経年劣化があり、味があるものです。 バツイチの女房に、元の娘になれといっても無理ですから、 思いやりの誠心でいたわることにしましょうね。 話は一寸変わりますが、自動車の世界に、日本カーオブザイヤー、RJCカーオブザイヤー という賞があります。 これは、その年に発表された新型自動車の中で、優秀な車に送られるプライズですが、 時計にもありますね。 間もなく、ウォッチオブザイヤー賞が発表になります。 自動車の賞の場合は、著名な評論家の先生方がその車に試乗して、 いわゆるロードインプレッションを基にして決められます。 時計の場合は、どうして決めるのか私にはわかりませんが、 使ってみました、その結果こう感じました、私の評価はこうです、 との意見があれば良いかなと思っています。 デザインもさることながら、開発のコンセプトについても掘り下げて欲しいと思っています。 今年のウォッチオブザイヤーの発表を楽しみにしている一人です。 |
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