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10月20日 鑑定作業の辛いこと
(No.56) 東京千代田区三番町に、ジャパンウォッチラボという名の会社を設立して1年半になります。 オークションに出品する時計の、コンディションリポートを作成する仕事をやっています。 もちろん、オークションで落札した時計のアフターサービスもやっていますが、 出品する前の鑑定は大変な作業になります。 一番に参っていることがあります。 これは、皆さんから出品希望で送られてきたり、持参なさる方がいらっしゃるわけですが、 その手元に届いた時計を、10ヶから20ヶ位を鑑定する毎に手を洗わなければならなくなります。 手から酸っぱい香りが漂ってくるのです。汗と垢の臭いです。 出品する時計についている汗と垢で、手がくさくなってしまうのです。 常日頃の時計の手入れがなされていないまましまっておいて、そのまま出品してくるわけです。 皆さん、夏が終わって涼しくなってきました。 時計についている汗と垢は、乾いた布できれいに拭き取ることにしませんか。 狭い隙間は、爪楊枝などで突付いてきれいにしましょう。 ガラス渕の回りも、ぐるっとひとまわりこすると、ビックリする程垢が取れます。 風防ガラスが曇ったら、ハミガキ粉(チューブでも可)を布につけて、 指先でこまめにこすってください。 アクリルの風防ガラスですと必ずきれいになります。 磨き終わったら良く拭き取って下さい。 一度これをやって味をしめると、年中やるようなことになります。 是非試してみてください。 |
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10月13日 自分の仕事に出逢う
(No.55) 先日全く初めての方から修理をお預かりしたのですが、 修理記録(ウラ蓋に記入してある文字)を見てビックリしました。 13年前に私がOHしているのです。 私としても、13年前の自分の仕事振りをしかと見ることができたわけです。 久しぶりに旧友に逢ったような気がしました。 油のつけ方や、もち具合を見ることができて大変良い資料となりました。 13年前とは時計油の少し進歩して、仕様が少し変わっていますが、 主たるところは変わっていないので、良い勉強ができました。 一週間前位までは暑い日が続きましたが。ここのところめっきり涼しくなってきました。 ところで、皆さんが毎日お世話になっている腕時計、よく見てください。 汗がついて、垢がこびりついていませんか。 バネ棒のところ、竜頭まわり、クロノグラフのプッシュ釦のまわり、 乾いた布でよく拭き取っておきましょう。 爪楊枝の先でシコシコつついてゴミを取って下さい。 腕からはずしたら、時計のバンドの跡が真黒く腕についてはいけません。 赤が黒にならないうちに手入れしましょう。 9月29日 時計人生 (No.54) ジャイアンツの長嶋監督が、今季限りで引退することになりましたね。 TVのインタビューで、監督にとって”野球とはなんですか?”という質問がなされていましたね。 これは、どんな職を持っている人についても同じ事がいえると思いますが、 ”人生そのもの”との答えが返っていますね。 物造りの職人技を持っている人は、すべてがそうだと思います。 長嶋監督にとっても同じ事が言えるのではないでしょうか。 監督にお疲れさま、御苦労様と申し上げます。 私にとっても時計は人生そのものです。 5歳の頃から機械に興味をもったのが始まりですから、そうなるでしょうね。 しかし、技術に対しての向上心は留まるところは知らずで、 現在でも技術習得に終わりなし、修行中です。 50年もこの道に関わっていても、まだ新しいトラブルに遭遇します。 ナンダコレハ?と思う故障を発見したときは、山の中で蛤を見つけたような気持ちになるものです。 世界中で何千万個という時計が止まっているのですから、いろいろなトラブルがあって当然と思います。 9月22日 時計技術に終わりなし (No.53) どんな仕事でも、執念をもって長い期間続けるということが大切です。 ”継続は力也”という言葉がありますが、全くその通りだと思います。 スポーツの世界でも同じですね。 手職の世界でも、これは”初めあって終わりなし”です。 特に私達の時計技術の習得では、全くこれで良しということはありません。 若い人達の中には、2〜3年で一通りのことが解ってくると、 もう一人前になったつもりでいる人がいますが、不思議なもので、 翌日になると昨日の仕事がチンケに見えてくることがあります。 これは、まだ自分が成長過程にいることであり、完成されていないことに気が付かねばいけません。 私めごときも、まだまだ勉強中と思っていますし、技術の中で完成されたものは何一つ無いということです。 メーカーの組立作業を見てみますと、ザラ組、振付、支付、側付に別けられますが、 これらの作業を一人で全部やる人は殆どおりません。すべてが分業になってます。 その為、夫々の作業に対しては、超が付く程ベテランです。 しかし、4つの作業が全部ベテランという人はおりません。 これは、メーカーやディーラーのサービスでも同じ事が云えてます。 スイスの一流高級時計のサービスでも全く同じです。 なんでもできる人は皆無と言っても良いくらいです。 でも良く考えてみましょう。街の時計店のオヤジさんは、これを全部こなしているのです。 大変だと思いませんか? 今、街の時計屋さんが、跡取りが育たなくて困っています。 東京でも、1年に10軒位店じまいしています。 これは時計店に限らず、手職を伴う職業の方の大きな悩みです。 子供らがハイテク産業に関わって家業を継がなくなっているからでしょうね。 最も時計職人でも、今ではパソコンを立ち上げてホームページを見たり、 メールを送ったりできなければ、どんどん取り残されてしまいます。 各メーカーから来る部品カタログは、すべてフロッピーで送られてくる時代になりました。 9月15日 基礎が大切 (No.52) 私の従兄弟で、東京築地の有名な日本料理店に板前修業で弟子入りした人がいました。 1935年頃の話です。 初めの頃は店の掃除や水まきから入り、5年間は鰹節削りばかりやったそうです。 5年間に渡り鰹節を削りつづけたという信念は、立派なのだと思います。 私が小学生だった頃に親戚のオバチャンが家に来て良くその話をしてました。 そして或る時、盆休みで帰省して家で鰹節を削ってみせてくれたそうです。 その削った鰹節を土産に持ってきてくれました。 私も子供ながらにその時の事を良く覚えております。 透き通るように輝いている、まるで芸術作品のような鰹節を見た驚きは今でも忘れることができません。 時計の世界でも、一寸話は変わりますが、時計店や修理会社等に就職すると、 少しの差はありますが工具の手入れから仕込まれます。 ドライバーの研ぎ方だけでも、3ヶ月位やらされます。その他ピンセットも何種類かありますが、 購入したままの姿でなく作業し易い様に整形して研磨するのです。 ピンセットについては一寸面白い話があります。 時計技術者ならば皆同じ様に修正、整形しているのかと言えばそれは違います。 そこには個性があるのです。 時計学校で講師をしていた時、何人もの生徒を受け持ちましたが、 同じように教えても夫々全く違う個性があるピンセットに仕上がっているのです。 極端な言い方をすれば、ピンセットを見ただけで生徒の顔が解るとでも言いましょうか、 これは職人の世界に共通していることだと思います。 すし職人、大工さん、バーバー職人と手職の仕事は沢山ありますが、 皆自分だけの工具、道具はしっかりと手入れして布にくるんで大切に保管しています。 道具を見てその職人の腕が解ると言いますが、全くその通りです。 同業者で、自分の工房に入れないという人が良くいますが、その気持ちも解るような気がします。 私の工房にも同業者が遊びにくることがあります。 キョロキョロと部屋の中を見回して落ち着かず、目線の先はいつも工具と道具に行ってます。 他の工房を訪れることがあれば、同じような事になるでしょう。 今回のお話の中で特に強調したいことは、どんな仕事の中でも基礎が大切であって、 家で云うならば土台と同じであるということです。 9月1日 お客様との対話 (No.51) 現在、東京都千代田区にジャパンウォッチラボという名称で時計修理会社を設立し、 一般時計修理とオークションに出品する時計の鑑定をやっています。 新しい会社は、今まで個人で営業してきた時計修理業務と少し変わりました。 それは、カメラや電化製品でもサービスステーションの窓口対応は、 受付担当の係員がお客様の話を聞いて修理伝票に要点を記入し、 その伝票を添えて修理技術者のところに回しています。 このシステムと同じになったのです。 今までは、お客様の時計に対する思い入れや、こだわり、想い出などをゆっくり聞いてから その時計の修理にかかることにしてました。 しかし、サービスステーションシステムで、業務の規模が拡大してきますと、 営業と修理部門が別れてしまいます。 止まった時計と、一枚の伝票が一緒に手元に回されてきます。 これは今までのお客様との対話が省かれていますので、とても淋しく思います。 全く事務的な修理作業になってしまいますし、完成した時計をお客様にお渡しして 喜ぶ笑顔に接することは出来ません。 又、逆のこともあります。現状復帰がままならず、叱責を受けることもありますが、 それはそれで技術の進歩にも繋がりますし、研究課題として残っていきますので 有難いことと思っています。 村上さんのお話の中にもありましたが、料理の世界と同じく、 時計の世界も初めがあって終わりなしということです。 8月25日 職人になる (No.50) 決して好景気とはいえない昨今です。 特に最近自分ではっきり”この仕事で一生めしを喰う” と決めている人が少なくなったようですね。 フリーターでもなんとか生活できるということも要因の一つになっているようです。 仕事一筋に生きてきた人達は現在では殆ど50才〜70才位になってますが、 そんな職人達200人を集録した本があります。 TBS土曜ワイドの中で大声で張り上げている山中伊知郎さんが書いた本です。 永岡書店から出版されている”職人になる本”です。 これから何か手職を身に付けたいと思う方は、是非お読みになることをおすすめします。 私も時計の道に入ってもう50年以上過ぎてしまいましたが、 時計そのものに立ち向かっている事もさることながら、 時計に想いを寄せている方々と、時計談義に花を咲かせることに 大変意義の有ることが良く解るようになった近頃です。 時計ファンの方一度集まってみませんか? 8月18日 私の履歴書 (No.49) 日本経済新聞の朝刊に連載されています”私の履歴書”は私の大好きな欄です。 今月は、帝国ホテルの名シェフ村上さんの手記です。 1ヶ月に渡って連載されるのですが、とっても面白いですね。 そこで私もそれに習って、このひとり言の中で時計屋になろうと思ったことなども 少しお話してみようと思います。 毎年8月になると、戦争の事が話題になります。 中学生だったその頃、学徒動員で軍需工場に行き、機関銃の製作をやっていました。 99式軽機関銃と、92式重機関銃の部品の製作です。 中学三年生で、見上げるように高いフライス盤や3mもある大型の旋盤を使っていました。 その時に受けた教育が、今の時計修理に大いに役立っているのです。 戦争が終わって工場を引揚げる時、マイクロメーターやノギス、ドリルの刃、 スコヤ、トースカンなど沢山もらってきましたが、今でも仕事に使ってます。 半世紀前の工具です。 でも、その工具を使うときは、決まってアメリカ軍の空襲や機銃掃射で逃げ回ったことを想い出したり、 軍需工場が艦砲射撃で滅茶苦茶になった事を想い出します。 |
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